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2015年9月 6日 (日曜日)

秘められた新神戸駅建設計画の全容と幻と消えた分岐構想-弾丸列車が地域に残した痕跡-【第一部完結編】

数年にわたりシリーズを重ねて調査を続けている、世界初となる高速鉄道計画、弾丸列車構想。山陽新幹線のルートとしては生かされることなく、完全に白紙撤回となったため、新大阪以西のルート特定は不可能と思われましたが、現地調査を重ねた結果、新大阪-新姫路82.0km上に残された様々な痕跡が明らかとなってきました。新資料の発見から、最後まで難航を極めた明石周辺のルートも確定。新大阪-新姫路の計画ルート全貌が遂に明らかとなりました。そして、そこには平野に計画された新神戸駅の知られざる全貌が。昭和18年には中止が決断されたという弾丸列車構想。その当時の情景に鑑みながら。第十章検証編からの続きです。

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※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの4枚に該当。

上図は、第十章検証編の最後に示した、新大阪-新姫路計画ルート全図です。これまでの調査で新姫路駅までのほぼ全線が明らかとなりました。ここで問題となったのは、明石周辺のルートが複数に分かれたこと。これは一体、何を意味しているのでしょうか。その考察にいく前に、前回発見された資料について、ここで述べることが出来る範囲で紹介しておきたいと思います。

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前回と同様、不許複製とさせて頂きますが、こちらは昭和10年代、神戸市兵庫区平野の地図です。ここにも黒い実線が。そう、これは弾丸列車(新幹線)の計画ルート。まさに元々の新神戸駅が計画されていた地点のルートです。よく見ると、これまでこのシリーズで追いかけていた想定ルートと微妙に異なっているのが分かるでしょうか。そう、わずかですが、これまで追いかけてきたルートよりも南側を通っているのです。

今回、発見された資料は地図だけではありません。膨大な量の文書(手書き)も発見されました。そして、そのほとんどが神戸市内の新幹線建設計画と新神戸駅に関する記述でした。この文書を作成したのは、弾丸列車計画を推し進めていた国の機関ではなく、地元、神戸の機関のもの。神戸市側、つまり地元の方で、新幹線と新神戸駅建設の計画を練っていたものであり、この内容を国への要請として提出するための、まさに原稿に当たる文書でした。それでは、その一部を紹介したいと思います。

 新幹線停車場の長さは両案ともに、いずれも約1㎞、軌条面位置は、海面上約30mで、両者同様の施設を為すとすれば、三宮案は平野案に比し、約2,000万円増額を要するのである。(中略)三宮案は地下建設であるから、ひとたび建設せられれば、将来もし拡張あるいは改良工事を為す必要に迫られたる場合を想像すれば、地表建設の平野案に比し、施工の困難は免れがたいのである。しかし平野案にしても、停車場の長さは約1㎞であり、狭小な平地を利用して、ここに停車場を建設し、その両端は長大なる隧道に接しているから、施設の変更、あるいは拡張などは、地表のみにて行なわれる場合の如く、簡単に済まされぬ事となるおそれがある。(中略)停車場を建設するにあたり、考慮すべき一事項としては市民の受ける犠牲を可為軽減し、迷惑を与えることを少なからしめ、してかつ、その利用に好適する位置を選定すべきである。市民の居住に適する平地の乏しきは、前に述べた通りである。ここに広大なる面積を要する停車場敷地を地元に求めることは、とりもなおさず市民に多大の犠牲を払わしめると考えるのである。平野案によれば、この付近において立ち退きを要する家屋、1,100戸に及び、5~6,000人の居住者に迷惑を与えることである。これに反し三宮案は、この事なく、停車場の主体は地下に在りて、本屋、玄関口及び広場は、旧川崎邸敷地及びその付近を使用するのみにて、平野案に比し、市民の蒙る犠牲は至極、僅少である。

これだけでも、驚くべきことがたくさん描かれていることが分かります。三宮案というのは、現在の三ノ宮駅とは関係なく、記述内容から、布引の地下に設けられる予定だった新神戸駅のこと。そして驚くべきは、平野案の方の記述。大事な部分ですので、もう一度書きます。

立ち退きを要する家屋、1,100戸に及び、5~6,000人の居住者に迷惑を与えることである・・・」

この記述からは、新神戸駅(平野案)が、当時の新聞記事に書かれていた「平野の祥福寺北側に設置」とは明らかに違うことが示されていました。

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そう、第六章で見た通り、祥福寺北側は一面の山だからです。ここには立ち退きとなるべき1,100戸もの民家は、どこにもありません。

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そう、弾丸列車の新神戸駅予定地(平野)は、祥福寺(地図の□部分)北側ではなく、西側。現在の湊山町から西側の都由乃町付近にかけての一帯(図の2番地点)に建設予定だったことが分かります。ちなみにこの付近の標高は40m~50mとなっており、先の記述の30mとは合いませんが、地図に示されたルート位置から見ても、この付近で海抜30mの軌条面はあり得ず(掘割になってしまう)、標高50m~60mの記述ミスと思われます。

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それでは、現地の様子を見ていきましょう。地図の1番は、平野の交差点。元々、ここは神戸市電の終点となっていました。写真は2番地点、都由乃町の住宅地です。ここは当時の記述にある通り、住宅密集地となっており、細い路地が入り組むように続いています。この付近の住宅全て立ち退きとするのは、例え国家の事業とは言えども、大変な作業となると予想されます。

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そして3番地点の祇園神社付近です。正面の山の中腹が祇園神社。4番地点の平野展望公園のすぐ下には、長い歴史を持つ湊山温泉があります。

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この新神戸駅の建設予定地を、少し上から見下ろすと、こんな感じ。まさに1,000戸以上の立ち退きとなる、大胆な建設計画となります。

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そして、当然ですが(平野の)新神戸駅予定地から西側のルートも、少しずつ南にずれる形となります。想定されるルートの標高は50m付近。神戸電鉄よりも下を潜り抜けるルートとなります。

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図の5番地点、夢野中学校跡地付近。(平野の)新神戸駅を出た弾丸列車は、この付近から山へと入ります。(写真は、東方向を撮影)

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そして地図の6番地点です。西方向を撮影。正面に草地、そして小さな公園となっている場所が見えました。まさに、そこが弾丸列車の通過地点となります。

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対岸に見えていた公園に来ました。明泉寺北公園です。

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公園から、反対方向を振り返ったところ。正面のコンクリート壁付近へと渡るルートとなります。

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そして、もう少し広域となる地図です。8番地点から高取山へと入り、徐々に高度を上げながら妙法寺地区(9番)へと抜けていくルートとなります。このルートでは、第七章に示したルートとトンネルの数は変わらず、また妙法寺の弾丸道路との交差の関係に変わりはありません。

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図の9番地点です。六甲全山縦走路となっている道路脇に、巨大なコンクリートの塊が見えました。(※前回、コメントを頂きました。ありがとうございました※) かなり風化した古いコンクリート塊で、質も良いものではないようです。風化も激しく、何かの構造物というより、もはや塊と化していますが、今回示された弾丸列車のルートは、まさにこの付近を通過しており、無関係ではないとも考えられます。

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そして10番地点に建つ、神戸市立妙法寺小学校です。祝120周年の文字が見えました。この小学校は大変古い歴史があり、無視して通過することはできません。弾丸列車は、この小学校のすぐ北側を通過。

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そして第七章で重要なポイントとなった、弾丸道路とのクロスポイントへ。

こうして平野の新神戸駅予定地から妙法寺まで、再びルートを追いかけてみましたが、ここで疑問となるのは、やはり想定ルートとの微妙な差。今回のルートは、これまで考察していた祥福寺北側に駅を設置するという当時の新聞記事の記述からは、離れたものとなっているからです。

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そのことは、ある1つの仮説で解釈できるのではないかと考えています。

上図は、説明するまでもないかも分かりませんが、東京-名古屋で計画されている「リニア中央新幹線」のルート図です。JR東海が自力で建設することとなり、南アルプスを貫く直線的なルートで建設が決定しました。しかし当初は、大変な難工事と予想される南アルプスを避け、長野県の諏訪付近を通り木曽谷や伊那谷を抜けていくルート(青線)も計画され、諏訪通過を目指す長野県と、最短距離を目指すJR東海との間で、激しい駆け引きが展開されました。

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こうした事例は、リニアだけではありません。こちらは北陸新幹線の富山-金沢の地図です。北陸新幹線は2015年3月14日、長野-金沢が開通し、北陸地方が東京と新幹線で結ばれました。現在の北陸新幹線は富山駅から新高岡駅を経て、新倶利伽羅トンネル(6,978m)で県境を越えて金沢に向かっていますが、元々は高岡駅付近から在来線と分かれ、加越トンネルで県境を越え、金沢へと向かう予定(赤線部分)となっていました。

ここは戦前の弾丸列車構想の記事ですので、北陸新幹線建設の細かい経緯の説明は省きますが、ここで少しだけ、現地の様子を見てみることにしましょう。

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ということで、突然ですが富山県の山の中(先の地図の矢印の先付近)です。樹木が生い茂る、ただ一面の山の景色・・・。いえ、注目は写真中央。

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それが、こちら。木々の中に異質な人工の構造物が見えました。そう、こちらが北陸新幹線「加越トンネル」建設の痕跡。工事用のトンネル入口であり、新幹線用のトンネルそのものではない、とも言われてますが、加越トンネルの掘削は確実に進んでいたようです。1989年の建設決定から3年後の1991年、ルートが変更となり、放棄されました。

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以来24年、ここは新幹線のトンネルとして利用されることなく、別ルートで北陸新幹線は開業しました。経緯も場所も違うとは言え、昭和18年に工事が中止されたと言われる弾丸列車と、29年後に別ルートで開通した山陽新幹線・・・どこか重なるような気がしてきます。まさに歴史は繰り返す・・・と。

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リニアや北陸新幹線の例を見るとおり、鉄道計画のプロジェクトは、国が一方的に推し進めるだけではなく、その地域の要望や意見を取り入れながら、様々に変化し、紆余曲折を経て決定されてきました。それは現在だけではなく、昔から同じと言えます。全国各地に伸びる在来線にも、いろいろな事情でルートが変更された例は、枚挙にいとまがありません。そして、この弾丸列車計画も、やはりそれは同じだったのではないかと考えられるのです。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

国家レベルで計画され、まずその概要が発表された新幹線(弾丸列車)計画が、当時の新聞記事に紹介されていきました。しかし、その時1,100戸もの立ち退きを強いる新神戸駅計画の全容は、一部の関係者のみが知るのみとされ、おそらく秘匿とされたと考えられます。そのため、新聞記事には計画概要として発表された「祥福寺北側」の案だけが残され、地元関係者の間では平野地区の立ち退き案が、密かに検討され続けました・・・。これは明石方面でも同様であり、国家レベルで最初に示された概要ルート(薄い線)と、地元レベルで実際に検討されたルート(濃い線)が示されたと考えられます。

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そして、同じことは平野だけではなく、三宮(布引)方面にも続きます。地元で検討され続けた弾丸列車計画、その国への要望文書には、さらなる三宮案への検討が加わっていました。その部分を、以下に紹介してみましょう。

 新停車場の両案につき、比較検討を行い、三宮案を主張するものなるも、市は今次(このたびの意(筆者註))の大戦にあたり戦禍相次ぎ、劫火(ごうか)のため市街の大部は焦土と化したり、これゆえにこの際一歩を進めて新路線を少し海岸寄りに迂回せしめ、先に計画せられたる山麓地下の三宮停車場を現三宮駅に隣接して、その山側にこれを建設し、広狭両線の連絡を密接かつ簡易ならしめ、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄(筆者註))の終点は、これを地下(その下層と書き換え跡あり)に移し、市街地をその用地に占拠せしむることを避け、これを総合的立体停車場として建設するときは(中略)、交通上享受する利便は蓋し(けだし)(まさしくの意(筆者註))甚大なるものありと信ずるものなり。

この文章には驚くべきことに、三宮地下案(布引地下案)に留まらず、市の中心部である「三ノ宮駅」に隣接するように新幹線駅を持ってくる計画が示されていました。

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そして、その具体的な場所は、現在の阪急三宮駅(神戸三宮駅)であり、阪急を地下化、もしくは二層構造として阪急の上に新幹線駅を造るという内容です。現在でこそ、阪急を地下化し、市営地下鉄三宮駅と連絡する構想が語られていますが、この文書は70年も前のもの。当時、新幹線駅を在来線に併設する構想が実際にあったことを示す、貴重な文書です。そして、重要な点がもう1つ。戦禍の記述がある通り、これは終戦後、昭和20年12月の文書なのです。戦争で大きな被害を受けてもなお、市では高速鉄道計画の検討が続いており、昭和18年には中止されたという話とは違い、戦後もなお新幹線(弾丸列車)計画が生き続けていた、それを証明する文書となっているのです。

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そして、図の13番の神戸港駅(貨物駅)跡地です。写真は、神戸港駅跡地に開園した、みなとのもり公園。先の文書では、貨物新幹線の構想も書かれており、この神戸港駅や埠頭にまで貨物線(広軌貨物線)を引く構想も検討されていました。実際の東海道新幹線でも貨物新幹線の構想があったと言われており、これは意外でも何でもありませんが、神戸港へも具体的に検討されていたという事実があったということには、大変驚きました。

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そしてこの写真は、現在の新神戸駅の北側、布引雌滝近くの遊歩道に残る「弾丸列車調査抗」の跡地です。(コメントから情報を頂きました。ありがとうございました) 神戸市文書館に収蔵されている神戸新聞の記事からも確認できましたが、布引地下での工事は想像以上に進んでおり、新聞記事に載せられた写真には、トロッコ線を敷き、掘削を続ける大きなトンネル内部の様子が写し出されていました。これは調査抗と言えるレベルではなく、この付近に大きなトンネルをすでに掘っていたことが分かります。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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戦時中には中止され、白紙と消えたと言われる弾丸列車構想。その構想を追いかける中で見えてきたものは、山陽区間でも弾丸列車構想はかなり具体的に、そして戦後まで検討が続けられており、地域に様々な痕跡を残しているということでした。そして、それはこれまで考えられていた以上に、多くの場所で進められていた可能性が強いということです。

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※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの4枚に該当。

最後に、もう一度全体図です。神戸市付近では、平野の立ち退き計画、そして布引地下案から、阪急神戸三宮駅との統合案、及び神戸港への貨物支線建設計画が追加となります。

70年前に未完と消えた弾丸列車構想。地域の様々な意見、要望を取り入れながら、建設に邁進する当時の姿を、長い期間の調査を通し、実際にここに感じることができました。弾丸列車はただの計画、前身ではなく、この当時の具体的な動きの1つ1つが、新幹線という世界初の高速鉄道に確かにつながっていることを、ここに確信し、この章の終わりとしたいと思います。本当に長い間、ありがとうございました。ご縁を頂いた全ての方に、この場を借りまして改めて感謝申し上げます。

★終わりに★

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写真は赤穂線坂越駅付近です。新大阪-新姫路に残されていた、弾丸列車計画の様々な痕跡。新姫路-新岡山に残る痕跡探しは、現在も続行中です。この区間から先は、これまでのようなルートをつなぐ記事方式ではなく、少しでも分かっている部分から紹介していきたいと考えています。また、現在までの区間でも、また詳しい調査結果が出れば、追加記事としたいと思います。

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ということで、こちらは新岡山駅予定地だったと言われる、宇野線大元駅。弾丸列車調査地点は、いよいよ兵庫県から岡山県へ・・・。

★↓続きは、こちら↓★

残されていた幻の新岡山駅建設構想-弾丸列車計画と岡山臨港鉄道の軌跡-【第弐部・第一章】

★↓これまでの弾丸列車構想シリーズは、こちらをどうぞ↓★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

姫路市内に弧を描く幻の新幹線ルート-加古川から新姫路駅へ-【第八章】

姫路市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第八章検証編】

明石周辺に乱立する鉄道計画の謎-軍事都市に消えた痕跡-【第九章】

明石北方に描かれた大港都構想-浮かび上がる弾丸列車構想の全貌-【第十章】

明石周辺の弾丸列車構想ルートを訪ねて【第十章検証編】

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コメント

やっと第一部完結ですね。毎回楽しみにしていました。現場主義を貫き地道に調べあげる努力に敬服します。ますますのご活躍を期待します。

六甲山人様、こんにちは。
いつも、ありがとうございます。ようやく新大阪-新姫路をまとめることが出来ました。新姫路-新岡山に関しても、意外と痕跡が残っているようです。新岡山予定地周辺は、資料などからもかなり具体的に痕跡を確認できました。広島周辺でも、具体的に工事(用地買収)が進められていたようですので、現地調査を進めたいと思っています。
時間はかかるかも知れませんが、今後ともよろしくお願い致します。

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