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2015年1月29日 (木曜日)

明石周辺の弾丸列車構想ルートを訪ねて【第十章検証編】

当ブログ内でシリーズを重ねて調査を続けている、幻の高速鉄道計画、弾丸列車構想。東海道新幹線とは異なり山陽新幹線のルートとしては生かされず、完全に破棄された新大阪以西のルートを追って現地調査を重ねた結果、現在の山陽新幹線のルートとは全く違う、新大阪-新姫路82.0kmの全貌が浮かび上がってきました。しかし明石周辺については根拠に乏しく、調査は難航。前回の第十章で、ルートを絞り込み、おおまかなラインの特定には至ったものの、その具体的な建設予定地が明らかとなった訳ではありません。果たして明石周辺の具体的なルートはどこだったのか。新大阪ー新姫路の完結を目指して。第十章からの続きです。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

Kobe17800

こちらは、前回までの調査で浮かび上がった、明石周辺の弾丸列車構想ルート(赤線)です。前回検証した通り、この赤線ルートでは、新大阪-新姫路が82.0kmとなり、公開されている当時の資料と完全に一致。しかし、第九章から第十章で見てきた通り、現地には決定的な証拠となるものがなく、残念ながら、これ以上詳細な建設予定地を示すことができません。

しかし今回、ある方面から、とんでもない情報が。現時点では情報源は伏せさせて頂きますが、公表できるタイミングが来ましたら、改めてお知らせ致します。その、とんでもない内容とは…

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こちら。昭和十年代の古い地図・・・そう、明石付近の地図(図1)です。複製は一切禁止とさせて頂きます。そう、この地図には、とんでもないものが描かれていました。上の方にカーブを描く黒いライン・・・現在の地図で見ても、このラインに該当するような、道路も鉄道もありません。

まさか、これは・・・

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そう、そのまさかでした。これは新幹線、つまり弾丸列車の計画線だったのです。この地図の存在には、正直、大変驚きました。このような図が遺されていることは、ほぼあり得ないだろうと考えてきたからです。そして、よく調べると、この図には新幹線の計画ルートとして2本のラインが描かれていることが分かりました。濃い線と薄い線の2本です。上図(図2)は、その濃い方を赤色で、薄い方をピンク色で描いたもの。

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そして、このルートを現在の地図に入れると、上図(図3)のような感じになります。先の地図(図1)に描かれていた薄い線をBルートとして点線で、濃い線をAルートとして表示しました。1番は、須磨区妙法寺の弾丸道路(神戸放射道路)との交差地点。2番から伊川谷へ出ます。3番は第二神明道路の伊川谷ジャンクション付近。そして、もうお気付きでしょうが、Bルートが、第十章で考察したルートと一致しています。

この2本のライン・・・これは一体、何を意味しているのでしょうか。その考察をする前に、先に、実際に現地でこのラインを見てみることにしましょう。

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ということで伊川谷の図(図4)です。ここがAルートとBルートの交差付近。現在の山陽新幹線は、全く別の場所を走っていることが分かります。

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図4の1番です。伊川谷の下流方向を見ています。左手奥に2番の池が少し光って見えています。弾丸列車(Aルート)は、緩いカーブを描いて、池の右手へ。

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2番です。池の手前に来ました。1番方向を振り返ったところ。正面、ほぼ中央に見える四角い白い建物へ向けて、右カーブしていくルートとなります。その奥はトンネルとなります。

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その後、伊川の堤防沿いに、ほぼ並行しながら走行、川を渡って住宅街へ。写真は3番への住宅街へと向かう、県道16号線。このすぐ先にNTT西日本の伊川谷別館があり、そこが通過地点。

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再び伊川と並走すると、4番から再び住宅街へ。写真は4番地点。弾丸列車構想ルート上に建つ、スーパーマルアイ北別府店です。

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同地点から、振り返ったところ。構想ルート、ほぼ直上です。この先は住宅街となり、ルート通りに追跡はできません。

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続いて長谷川鉄工所の見える、この付近を通過。

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そしてスーパー、マックスバリュー伊川谷店へ(5番)。計画地は北側の駐車場付近です。こうして見ると、計画跡地上は意外と商業施設になっていますね。

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続いて玉津付近の図(図5)です。

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点在するため池と丘陵地を避けるように通過(6番地点)

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玉津町今津の住宅地を抜けていきます。(7番地点)

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8番地点で明石川を渡ります。写真は横断地点を望んだところ。

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続いて玉津町出合町付近(10番)を通過。玉津町付近も、弾丸列車のルート付近は一直線の街路が多くなっています。

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そして野々池貯水池のある丘陵地へ。この写真は10番地点手前から、西を振り返ったところ。写真右下から直線的に伸びている用水路方向が、弾丸列車の計画ルート。

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そして10番地点です。計画ルート上は、細長い貸し農園として利用されていました。ここは、弾丸列車建設予定地を、そのまま示しているような形状です。

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続いて大久保の図(図6)です。「A」で示した敷地が、第九章で紹介した川西機械製作所、現在の富士通明石工場の位置。

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野々池貯水池の北側を抜けた弾丸列車は、そのまま大久保の丘陵地帯を通過していきます。

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11番地点です。大窪八幡宮南側を通過。

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大窪八幡宮前の計画ルート上は駐車場となっていました。

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そして、大窪八幡宮横には、JR西日本大久保寮が。弾丸列車の通過位置的には、わずかにずれているものの、ここに建っているのは弾丸列車計画と無縁ではないのかも知れません。

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そして計画ルートは、富士通明石工場の北側をかすめ、前方の丘陵地へ(12番地点)。金ヶ崎公園となっている丘陵地です。

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そして魚住の図(図7)です。左上から先は、現在の加古川バイパスとなります。

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同じ場所を空中写真で見ると、こんな感じ(撮影いそしず)。この写真では、左下から先が加古川バイパス。建設予定地付近は、70年経った現在でも市街地化の波が及ばず、田園風景が多いことが分かります。

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13番地点です。田園風景が広がっていました。

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魚住町清水地区(14番地点)です。この周辺も直線的な道路が多くなっていました。この田園地帯を抜けた先は、現在の加古川パイパスとなっており、弾丸列車建設予定地は、そのまま道路に転用され、現在に至っています。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

Kobe18800

ということで、現地の様子をつぶさに見てみましたが、もう一度、ルート図です。今回、明らかになったAルートも書き加えてみました。ここで、まず気になるのは、前回考察した距離はどうなるのか、ということ。Aルートでは直線的なBルートより明らかに距離が長くなっているからです。Aルートで、もう一度測ってみると・・・

妙法寺(弾丸道路交差部)
↓ 21.6km
土山(加古川バイパス始点)

やはり、Bルートより1kmほど伸びていました。これでは、新神戸-新姫路の距離が合わなくなってしまいます。一体、これはどういうことなのか・・・そして、なぜ薄い線で距離の合うBルートも描かれていたのか・・・詳細が判明したのと同時に、また少し謎も深くなってしまったようです。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの4枚に該当。

それでは、これまでの調査で判明した弾丸列車構想ルート全図です。明石付近が2ルートとなった理由を除き、新大阪-新神戸-新姫路、全ての詳細なルートが遂に明らかとなりました。赤い四角で囲んだ部分が、これまで調査してきた場所。中の赤数字は、それぞれ対応する章の番号を示しています。ご協力、応援頂いた方々、本当にありがとうございました。弾丸列車構想の調査は、これで無事完結致しました・・・。

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いいえ、あと少しだけ。明石付近が2ルート存在していた謎・・・最後に、その謎が残りました。今まで不明とされてきた、兵庫県内の全体像がほぼ判明したことを思えば、これは小さな謎に過ぎません。しかし2つのルート図、それをじっと見ていると、最近見た、ある似たような図をイメージしてしまうのです。そして、その、ひとつの回答・・・、それが新神戸駅にありました。今回、頂いた情報の中に描かれていた弾丸列車「新神戸駅」の構想、そこには、これまで追ってきた情報だけでは考えられなかった新神戸駅、驚きの事実が秘められていたのです。そして、その情報を読み解く時、当時計画された弾丸列車構想、その過程の一端が見えてきました・・・。

もう一度、最後に舞台は兵庫区平野へ・・・。

★↓続きの記事は、こちらをどうぞ↓★

秘められた新神戸駅建設計画の全容と幻と消えた分岐構想-弾丸列車が地域に残した痕跡-【第一部完結編】

※一応、完結編としますが、情報も引き続きお待ちしております※

★↓これまでの弾丸列車構想シリーズは、こちらをどうぞ↓★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

姫路市内に弧を描く幻の新幹線ルート-加古川から新姫路駅へ-【第八章】

姫路市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第八章検証編】

明石周辺に乱立する鉄道計画の謎-軍事都市に消えた痕跡-【第九章】

明石北方に描かれた大港都構想-浮かび上がる弾丸列車構想の全貌-【第十章】

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コメント

いつも楽しく拝見しております。もうすぐ全貌が明かされる訳ですね。なぜだか涙腺が緩む想いです。と言いますのも、いそしず様が調査された弾丸列車の路線敷設予定ルートに少しく縁の様なものを感じているからです。先ず今現在の住まいが武庫之荘で武庫川近くの当に赤線を引かれた近辺で、幼少期は、今回取り上げておられた伊川谷近辺で過ごし、仕事では、新神戸辺りでウロウロしておりますし、175号線辺りも頻繁に使用しております。加古川バイパスが弾丸列車の遺産であることは、数多の書物で明らかにされており知ってはおりましたが、まさか、自分のこれまでの人生に密接してこのようなロマンが秘められていたなんて驚きと感動に突き動かされ普段余りこのようなコメントは書かないのですが、気持ちを抑えられずコメントしてしまいました。文才がございませんので、拙い文章となってしまった事をお詫び申し上げます。そして、これからもこの日本に眠る鉄道ロマンを明らかにしていって下さいませ。有難うございました。

sadgazer様
コメントありがとうございます。ようやく、新大阪から兵庫県内のルートの全貌が明らかになって参りました。西宮市の大谷町から越木岩地区を訪れた時は、ここまでの内容になると申しますか、弾丸列車の調査に発展するとは正直思っておらず、ただ書籍で見た弾丸列車のトンネル入口予定だったという、岩ヶ平付近を実際に歩いて見てみたくなっただけでした。あとは平野が新神戸予定地だったということと、加古川バイパスの話は聞いておりましたが、まさか、ここまでたどり着くことが出来るとは…本当に、頂きました様々なご縁の賜物と感謝しております。
次回で、いよいよ完結編となります。調査しながらのシリーズだったため、公開に間隔が開きましたり、内容が少々くどくなったりと、今から読み直しますと稚拙に感じる部分もございまして、大変恐縮でございます。楽しみにして頂き、ありがとうございます。私も西宮北口には幼少の思い出があり、加古川バイパスや新神戸周辺は、仕事絡みでもよく訪れますので、もし新幹線があったらとイメージを膨らませては、楽しんでおりました。新神戸駅の再考察と共にラストとなりますが、当時の情景の一端でも垣間見ることができる内容となれば、幸いでございます。
赤穂市、備前市、岡山市周辺でも僅かながら情報を頂いております。完結編後も、調査を継続したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

いそしず様 はじめまして興味深い記事が満載でいつも更新を楽しみにしています
新神戸駅についてですが地元に住んでおりましたので ご存じとは思いますが関係ありそうなことをお知らせします

新神戸駅から布引の滝への登り道ですが今は砂子橋を渡って登りますが かつては直進し雌瀧の方へ行けたのですが 砂子橋をこえてしばらく行った左の山側に斜めに掘られた深い穴がありました
一昨年85歳で亡くなった父は防空壕と言っていましたが 防空壕にしては穴が斜め下に掘られて不自然に思っていました これも高速鉄道の新神戸駅の試掘抗ではないかと思うのですが
あと阪神高速新神戸トンネルの新神戸出口付近の砂子山あたりから先ほどの砂子橋のすぐ下までほら穴があり父が子供の頃(昭和10年代)に通りぬけたそうです 私も新神戸駅ができるまでは苧川を挟んで見た記憶があります

子供のころ山登りの時に父から聞いた話しですが戦時中トウェンティクロスのを越えて箕谷方面に至る道路を作りかけたそうで「弾丸道路」と呼んでいたそうです そのときは二十渉堰堤の左岸の斜面を父とよじ登り 道路状の平場と切通しがあるのを見ました 近年大きな堰堤が出来て登山ルートが変わったので近づきにくくなりましたが 父との思い出もあり訪れてみたい場所でもあります

長くなりましたがご参考になりましたら幸いです

やいとさん、はじめまして。
貴重な情報、ありがとうございます!新神戸駅周辺の話、大変興奮致しました。砂子橋の近くのもの(塞がれて現在は見えなくなっておりますね・・・)は、私も防空壕ではなく、当時の弾丸列車建設に伴う調査坑跡であると考えております。これまでの調査では、なかなか証言が得られておりませんでしたので、確認に苦慮していた部分でした。具体的なお話を伺え、大変嬉しく思います。ほら穴の件と合わせ、本当にありがとうございました。次回の新神戸駅の再考察にて、布引も再度取り上げるつもりですので、ぜひ参考にさせて頂きたいと思います。
また、箕谷方面への弾丸道路につきましては、初耳でございました。南北に続く谷筋ですので、確かに道路建設の予定があってもおかしくなさそうです。当時密かに計画、建設されつつあった弾丸道路とすれば大変面白いと思います。弾丸列車と交差する予定となっていた神戸-妙法寺-三木方面の弾丸道路建設ルートにつきましては、詳細な位置が判明致しましたので、またブログの方で、取り上げたいと思っています。
この度は、貴重な現地情報、本当にありがとうございました。昭和10年代の風景が目に映るかのようです。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

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