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2014年5月18日 (日曜日)

明石北方に描かれた大港都構想-浮かび上がる弾丸列車構想の全貌-【第十章】

東海道新幹線建設に生かされたものの、山陽側は白紙と消えた戦前の高速鉄道計画、弾丸列車構想。大阪-姫路は、かなり具体的に計画が進められていたせいか、当時の新聞記事や現地調査の結果、おぼろげながら、その全体像が浮かび上がってきました。しかし明石周辺は、大変痕跡に乏しく、調査は難航。現地を訪ね歩いているうちに、たどりついたのは、弾丸列車とは直接関係ない、たくさんの鉄道建設計画でした。果たして明石周辺の弾丸列車予定地は、どこだったのか。大阪-姫路の全体像を目指して。第九章からの続きです。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

Kobe11800

こちらは第九章の最後に示した、明石周辺の鉄道計画図です。黄色で着色した範囲が現在の神戸市西区の領域。ピンク色で示したものが、当時の鉄道計画ルート(概要)です。この図を見ていて気になるのは、鉄道計画が多すぎること・・・。

何だ、そんなことか、と思われるかも知れませんが、現在、神戸市西区には鉄道と言えば、神戸電鉄と神戸市営地下鉄しかありません。神戸市9区の中で唯一、JR線のない区となっています。その市営地下鉄も、西神ニュータウンなど大規模に開発された地域を結んでおり、広大な田園地帯が広がる元々の集落とは、ほとんど無縁の存在。ニュータウンもない、この時代に、これだけの鉄道計画があったとは驚きです。それでは早速、当時の新聞記事を見てみることにしましょう。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫

こちらは、昭和17年9月7日の神戸新聞です。当時、神戸市が進めていた明石郡全域の合併計画が報じられていました。そう、これが大港都構想と呼ばれるものです。

大東亜の交易基地たるに相応しい、大港都の建設を企図する神戸市では、将来飛躍的に拡張さるべき大神戸港の後背地として、これに適応する新市域を築くため当面の目標として東部隣接五ヶ町村の編入に根強い努力をつづけているが、これと併行して三年来の懸案となっている西部隣接の明石郡九ヶ町村の合併をも、急速に実現することになり・・・【中略】協議の結果、明石郡七ヶ村としては無条件で神戸市への編入に応じることになり・・・【中略】大久保、玉津両町村は、従来の経緯から直ちに七ヶ村と同一行動を執り得ぬ事情にあるので、神戸市および明石郡七ヶ村協力して、ここ数日中に両町村を訪問して合併慫慂に全力を注ぎ、明石郡九ヶ町村一致して急速に神戸市への合併実現に邁進することになった。【中略】明石郡の編入によって、全く神戸市に包囲される明石市に対しても働きかけるため、野田市長は来る十日、東京より帰神後、青木明石市長と会見懇談することになっている。【中略】明石郡の編入は大港都の右翼として神戸市と播州工業地帯を密接に連繋せしめ、市当局で計画中の板宿、大久保間の弾丸市電を交通大動脈として、将来飛躍的発展を約束されている。

長々と引用致しましたが、この新聞記事から、神戸市は、当時の明石郡の9町村に対して合併を働きかけていたことが分かります。当時の明石郡9町村とは、伊川谷、櫨谷【はぜたに】、魚住、岩岡、神出、平野、押部谷、大久保、玉津のこと。うち、大久保と玉津を除く7ヶ村は、すでに合意に達しており、そこには現在は明石市に入っている魚住村も含まれています。新聞記事の通り、大久保村も合意すれば、明石市は神戸市に四方を完全に囲まれる形となり、吸収合併されるのは目前の状況となっていました。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

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そして、それらをまとめた図がこちら。こうして見ると、たくさんの鉄道計画は、合併する町村を結ぶように計画されているのが分かります。当時、大港都構想として明石全域を吸収しようとした神戸市。その合併の見返りに、この地区への公共交通整備を約束しようとしたようにも見えます。交通網の結節点となるのは、明石郡の中では一番発展していた玉津であり、各方面からの連絡が便利となっています。そして実は神出方面にも重点を置いていることが、神戸、明石双方から伸びる鉄道計画と軍用飛行場の位置から見て取れます。

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こちらは神出にある雌岡山(めっこさん)から南方向の眺めです。真下に見えているのが神出地区であり、その向こうの丘陵地が西神中央。

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雌岡山の山頂には、神出神社が建っており、祭神は素盞鳴命(スサノオノミコト)、奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、大已貴命(オオナムチノミコト)となっています。素盞鳴命と奇稲田姫命の間に、この地で大已貴命が誕生したという言い伝えから「神出」の名があると言われており、ここは天皇家とも縁の深い場所。

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戦時中、ここ雌岡山を中心として軍都を築くという、神戸大本営構想が存在したと言います。このような交通の不便な地区になぜ、と疑問に思いそうですが、大港都構想の道路、鉄道の計画図を見た後では、それも納得できそう。そして、ここに「ある1つの仮説」を立てることが出来ます。

それは弾丸列車構想の計画は、この大港都構想の影響を受けているのではないか。いえ、もっと大胆に言えば、弾丸列車計画も神戸大本営構想に影響を与えているのではないか、ということです。

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その仮説に行く前に、こちらは今回の地域の標高図(図1)です。緑色が標高0m~40m、黄色は標高40m~100mを示しています。そして赤の四角で囲んだ場所、その南端にある池が、第九章で紹介した野々池貯水池。赤い四角の範囲には、南北に一直線に伸びる段差となっており、その段差に沿うような形で標高30m~40m付近に、野々池貯水池に注ぐ林崎疎水が流れています。

★野々池貯水池と林崎疎水については、こちらの記事も参照下さい★

明石の水がめ「野々池」と周辺散歩-王塚古墳から林崎疎水へ-

第九章で見た通り、野々池貯水池は大事な水源であり、また東側は急斜面となっていることから、直接横断するルートは考えにくく、また南北に伸びる標高差のある斜面は、ここを乗り越える第二神明道路も急カーブ、急坂となってしまっており、弾丸列車の横断には無理がありそうです。つまり野々池貯水池を避け、また段差部分も避ける形で考えると、通過できるルートは、かなり限定されたものとなります。

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それが上図(図2)の位置。この地区をうまく通過するためには、この3本のラインが最も自然な形。Aルートでは、西側で現在の第二神明道路付近と重なり、Bルートでは東側で第二神明道路と重なることになります。Cルートの場合は、ルート上を第九章で見た神戸刑務所が立ち塞がる形となっていますので、その回避を考慮しなくてはなりませんが、それ以外は障害はありません。

それでは、このうちのどこなのか・・・?

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いえ、その答えを出すことはできません。というより、無理があるとしか言えません。今、簡単に3ルートを挙げたものの、これは、あくまでも自然と思えるルートを示しただけであり、とても、単純にここだと絞り込むことなどできないのです・・・

それでは、どこから考えたらいいのか?

私は当時の新聞記事を、もう一度読み直しました。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫

こちらは、第六章で見た当時の大阪毎日新聞の記事です。第六章でも掲載した部分も含まれていますが、ここに実は気になる文面が。

それによると京都から南下して来た新幹線は高槻町附近で現在線と淀川との中間摂津平野を鳥飼村、味生村を経て東淀川区下新庄野附近現在線の東淀川駅で東海道線を西に渡り・・・【中略】今回決定をみた高槻、姫路間95kmのうち、すでに姫路、土山間では用地買収が行われ・・・

そう、ここには、まだこのシリーズを続ける中で検討していない項目が1つだけ書かれていました。それは距離です。高槻-姫路95km。約100kmではありません。そう、95kmと具体的数字をもって紹介されていることなのです。これまでの調査で、今回の明石周辺を除く、ほとんど全ての区間のルートは判明しています。もしかしたら、この数字から、なかなか浮かび上がって来ない明石周辺のルートの「距離」が確定できるのではないか・・・。

それでは、現在までに判明しているルートの距離はどうなっているのでしょうか。これは実際に、地図上で距離を測ってみれば分かります。その結果がこちら。

新大阪(東海道線交差部)
↓ 17.3km
越木岩トンネル入口
↓ 14.0km
平野(トンネル出口)
↓ 6.8km
妙法寺(弾丸道路交差部)

★今回の不明区間★

土山(加古川バイパス始点)
↓ 23.3km
姫路(飾磨港支線交差部)

結果、分かっている区間を全て足した数値は61.4km・・・

しかし、これでは不明区間の距離を計算することはできません。新聞記事の記述は、高槻-姫路95kmであり、大阪側は高槻からの距離となっているからです。これでは高槻のどの位置からスタートするかで結論は変わってしまいます。しかし、何らかの推定をすることはできないか・・・先ほどの新聞記事を見ると高槻町附近で現在線と淀川との中間摂津平野を・・・」と記述されています。現在線とは、もちろん東海道本線のこと。

ここで大阪府高槻市の写真を見てみましょう。

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こちらは先日撮影した高槻市付近の航空写真です。分かりやすいように、淀川、新幹線、そして東海道本線部分を着色してみました。この写真は北から撮影したものですので、上が南となっています。こうして見ると、新幹線は主に淀川寄りを走行しており、東海道本線との中間付近に来るのは黄色で線を引いた辺りから左側(東側)に限定されることが分かります。つまり当時の「現在線と淀川との中間」という表現があり、そこから姫路までが決まったという以上、少なくとも「この黄色の線より東側のどこか」からルートが決定したことになる。つまり、逆に言えば「黄色の線より西側はルート決定済みである」と結論ができるのです。

Taki01

同じ場所を地図で見ると、こんな感じになります。新幹線と国道170号線の交差地点辺りから東側が「現在線と淀川の中間」と言える位置。反対に言えば「少なくとも」この地点より西側は、当時ルート決定した区間と見て間違いない、ということになります。では、ここから新大阪(東海道線交差部)までの距離は何キロなのか。実際に測ってみましょう。

高槻(国道170号線交差部)
↓ 15.3km
新大阪(東海道本線交差部)

これで全てそろいました。不明区間を除く、高槻-姫路、全ての距離の総和は76.7km。そう、全体は95kmですから、残りは18.3km。これが妙法寺(弾丸道路交差部)から土山(加古川バイパス始点)の距離。そう、この距離とピタリと合うルートを見つければ、それは最有力候補となる・・・

これで解決と思いました。しかし、問題はそう単純ではなかったのです。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

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こちらは、妙法寺から土山までを直線で結んだものです。この距離を測った時、その結果に私は愕然としました。

20.1km・・・

計算で示された結果より1.8kmも長い・・・直線という最短距離で行っても、その距離は長すぎる結果となったのです・・・。当然、この結果からは、どのようなカーブを考えようと、その結果が無意味であり、距離が合うルートなどないことを示しています。これは一体、どういうことなのでしょうか。ここから考えられる原因は、次の3つです。

1、そもそも新聞記事の95kmという距離に信憑性がない。いい加減な数字を載せたものである。

2、高槻の始点位置は、もっと西側である。(それでは、当然淀川沿いとなるが、新聞記事では現在線との中間と適当に書いただけ)

3、これまでの弾丸列車想定ルート自体に間違いがある。

どの結論に至ったところで、これでは距離の考察が無意味であることに変わりはありません。これまでの考察が間違っていないと信じるならば、妙法寺-土山は18.3kmでなければならない。いえ、18.3kmという結果が出てこなければおかしい・・・そう、ここは地図を切り貼りして距離を縮め、図を加工すれば最適な・・・

そんなことは、できません・・・orz

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

脱線しかけましたが、こちらは第六章で紹介した昭和17年3月5日の地元紙、神戸新聞です。この新聞記事も、もう一度読み返すと、そこには、次のような一文があることに気付きました。

高槻、夢前川間の通過地はすでに決定した。残すは野洲−高槻間、夢前川−姫路間のみ。この区間も目下測量設計中で今年中に決定する・・・

しかし、これはおかしい。

夢前川は、現在の山陽本線、英賀保駅の西側を流れている川で、姫路市中心部より西側に位置しています。当然、計画されていた弾丸列車の新姫路駅よりも西側になります。高槻-夢前川まで決定したと言っているのに、残すは夢前川-姫路では矛盾しています。これでは新姫路駅は夢前川より西側に位置することになってしまう。ここから考えられる可能性は1つしかありません。それは、この夢前川は誤りだということです。ここで言いたかったのは、姫路市中心部の反対側、つまり東側を流れる「市川」のことではないか。

高槻、市川間の通過地はすでに決定した。残すは市川-姫路間のみ。これなら意味が通り、すっきりします。そして、それもまもなく決定する・・・。

!?

そう、それならば、高槻-姫路決まると書かれていた大阪毎日新聞の記事の意味が変わってくるのです。大阪毎日新聞の記事は、神戸新聞より7ヶ月も前。大阪毎日新聞では「姫路」と簡単に書かれていますが、この時決まっていたのは、正確には市川まで。ということは、出ていた95kmという数字は、高槻-市川の距離なのではないのか。

そして市川-姫路の距離は2.3km。これで、全て揃いました。

高槻-市川、明石付近の不明区間を除く総和は74.4km。つまり、妙法寺-土山は18.3kmではなく20.6km。これが明石地区の弾丸列車のルート距離と推定されるのです。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

Kobe15800

そして、全てを考え合わせた図がこちら。図中のA、B、Cが図2で示した通過ルートです。そして実はAルートは、後年、山陽新幹線建設計画時にも検討された経緯のある場所。黒線で前後に伸ばした線は、現在の西明石経由に対する「比較計画線」として検討されたものでした。明石市史には、その概要が紹介されています。それではAルートが、当時の弾丸列車のルートなのでしょうか。その前に、この3ルートの距離を測ってみることにしましょう。

Aルート・・・20.8km

Bルート・・・20.6km

Cルート・・・21.5km

各ルートの距離から、Cルートの可能性は、まずあり得ない。反対にBルートは、距離が完全に一致。しかしAルートとBルートの距離の差はわずかであり、これは誤差の範囲とも言えます。結局、距離だけでは、絞り込みには成功したものの、これではルートを特定することはできません。

では、完全に無駄な考察だったのでしょうか。

いえ、この章で最初に示した「ある1つの仮説」・・・その仮説により、この図から弾丸列車のルートを1つに絞ることが可能となるのです。では、その仮説とは一体何か。

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それは「西明石駅はどうなっているのか」ということです。

これは現在の西明石駅のことではありません。弾丸列車の言わば新明石駅のこと。その新明石駅を考えたとき、最有力候補はただ1つしかないと言っても、過言ではありません。

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それは玉津なのです。図で見てきた通り、玉津は各方面への鉄道や道路が集結する、いわば交通の結節点となるよう都市計画が進んでいます。ここに新明石駅を設置すれば、交通体系として申し分のない立地となるからです。

しかし、この考え方には、反論が予想されます。

弾丸列車計画には、そもそも新明石駅の予定はない。停車する都市は、大阪、神戸、姫路、岡山・・・と発表されており、明石は入っていない。駅設置を勝手に仮定して話することは、全くの空想物語であり、説得力もなく根拠もない。

そう、明石に駅を設置する話はどこにもありません。また、そういう資料を見たこともありません。ただ私が言いたいことは、そこではないのです。

これは国家級のプロジェクトであり、その鉄道計画(駅の配置や路線)を考える時、100年先の将来においても問題のない計画として、様々な事情を考えながら検討されているのではないかと考えます。その中で、この明石地区は、当時として無視するには不自然なほどの状況がそろっています。明石郡を中心とした大港都構想は、ここに巨大な都市計画があったことを示しており、鉄道、道路は全て玉津を中心に放射状に配置されています。南に位置する明石市は軍事都市として重工業、航空産業が栄え、北部には神戸大本営も計画されました。ここに弾丸列車を通過させる時、この都市計画を無視して建設するとは考えにくいほどの計画です。そして、それはきっと軍事機密だったに違いありません。駅の設置は正式に決定(または発表)していないにせよ、将来、必要となった時に「新明石駅を設置できる理想的な位置」に路線を引いておくことは、決して無駄ではない。そう仮定すると、ルートは玉津通過のBルートであることが予想されるのです。

それでも、まだ反論がありそうです。

今回は、仮定、推測、仮説ばかりの話で、決定的な証拠が何一つ出て来ない。標高からの考察は推定、駅設置も仮定の話、そして距離の考察さえ決定的なものにはならなかった。これでは弾丸列車構想の全貌とは、とても言えない、と。

その通りです。明石付近の調査を続けてきましたが、この地区で弾丸列車計画の決定的な証拠をつかむことはできませんでした。しかし、今回挙げた3つの考察、その全てで玉津通過が示される結果となったことも、また事実なのです。

1、標高差のある斜面、野々池貯水池を避けるルート。

2、高槻-姫路の距離がピタリと合うルート。

3、将来、駅の設置が検討された時、一番交通網として最適なルート。

この3つの考察全てにおいて、玉津通過という同じルートが導き出されました。全く別々に考察した全ての仮定で、1つだけ同じルートが現われる・・・。これは、ただの偶然であるとは考えられません。

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明石周辺の地域の状況から、当時の弾丸列車構想は、玉津通過であることを指し示す結果であると言えます。

★↓地図をクリックすると拡大表示します↓★

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そして最終的な結果がこちら。当時の新聞記事と、地域の状況から、明石周辺の弾丸列車ルートは、上図の通りと結論できます。ちなみに、この考察は当時の新聞記事のみを基にして検証してきましたが、鉄道ピクトリアル誌2012年4月号にも、新大阪-新神戸32.6km、新神戸-新姫路49.4kmと、当時の弾丸列車構想の駅間距離が資料として紹介されています。新大阪-新姫路は82.0kmちょうどであり、これは、この章で一番最初に出てきた距離考察のところ、合計61.4kmに不明区間の20.6kmを足して頂けると・・・こちらもピタリと一致する結果となりました。これは新大阪から新姫路まで、これまでのルート考察結果が、ほぼ間違いないことを示していると考えられます。

Up14051609

結局、兵庫県の意見もあり、魚住、大久保は明石市と合併することが決まりました。しかし神戸市は戦後、もう一度明石市に合併交渉を持ちかけています。神戸市明石区を想定し、住民投票まで発展しましたが、結局、反対多数で否決。ここに明石市と明石郡全てを取り込む大港都構想は、完全に潰えた形となり、少し中途半端な形状で、神戸市西区が誕生しました。現在も、交通の中心となるはずだった名残りのように、神戸市西区役所は、鉄道のない玉津地区に置かれています。

Up14051610

長く調査を続けてきましたが、本当にたくさんの方々に、応援、そして、ご協力を頂き、ありがとうございました。ここに改めましてお礼申し上げます。今回も、長文となり、明石付近のルートについては概要のみで、詳しく取り上げることができませんでした。そして、この第十章を取りまとめているうちに、また新たな事実の発見もあり、この地区の更に詳細なルートが判明致しました。次回は、今回の結果を振り返りながら、詳細に判明した明石地区の弾丸列車ルート、その全線を訪ねてみたいと思います。

★↓続きは、こちら↓★

明石周辺の弾丸列車構想ルートを訪ねて【第十章検証編】

★前回までの弾丸列車構想については、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

姫路市内に弧を描く幻の新幹線ルート-加古川から新姫路駅へ-【第八章】

姫路市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第八章検証編】

明石周辺に乱立する鉄道計画の謎-軍事都市に消えた痕跡-【第九章】

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