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2014年2月11日 (火曜日)

明石周辺に乱立する鉄道計画の謎-軍事都市に消えた痕跡-【第九章】

西宮市の大谷町から始まり、姫路市内まで調査を進めてきた、戦前の高速鉄道計画、弾丸列車構想。大阪から姫路までの建設予定ルートが次第に明らかとなってきた中で、唯一空白地として残ったのが、明石周辺でした。この明石周辺が明らかとなる時、遂に新大阪から新姫路までが一本のルートでつながることとなります。しかし明石周辺は当時の新聞記事にも具体的な記述がほとんどないことから、ハードルは極めて高いと言わざるを得ません・・・果たして明石付近で予定されていたルートはどこだったのか。兵庫県内の全体像を目指して。第八章検証編からの続きです。

★↓前回の第八章検証編は、こちらをどうぞ↓★

姫路市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第八章検証編】

★↓画像をクリックすると、拡大表示します↓★

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それでは、神戸から明石にかけての概略図(図1)です。第六章から第七章までの調査で神戸市内については概要(赤線部分)が明らかとなりました。しかし、それより西を考えようにも、当時の新聞記事に記された表現、「伊川谷」「明石北方」「大久保北方」については、意味が曖昧で、考えられる範囲が大変広く、ルートを特定できる要素にはなりそうにありません。ただ、これまでも見てきたように、現地の様子から何か少しでも分かることがあるのではないか・・・今回は、かなり広大な範囲とはなりますが、そっそく現地の様子を見てみることにしましょう。

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ということで、こちらは神戸市営地下鉄の伊川谷駅前です。当時の新聞記事には「伊川谷」とは書かれていますが、そもそも伊川谷とは、その名の通り「伊川」という川が作った広い谷筋。元の「明石郡伊川谷村」の範囲も南北に非常に長く(図1の黄色く着色した範囲)、この駅周辺であるという根拠は何もありません。

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そして、こちらは第二神明道路の伊川谷JCTから玉津IC間の様子です。都市伝説では、この第二神明道路も弾丸列車の用地ではないかと言われていましたが…

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しかし、玉津ICを越えると、道は急カーブ、急坂で山の斜面へ。この坂を上りきると、明石市の大久保であり、第二神明道路にも大久保ICがあります。当時の新聞記事に出てくる大久保北方という表現と一致しているルートに見えますが、残念ながら、とても弾丸列車が走れそうな線形には見えません。

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更に、こちらは現在の山陽新幹線、伊川谷保線所です。新神戸駅から山を越えてきた山陽新幹線は、伊川谷に出て西明石駅に至ります。伊川谷は神戸市西区となっていますので、実は西明石駅に入る直前まで、まだ神戸市内を走っていることになります。ここ伊川谷保線所付近から、現在の山陽新幹線と分かれて西へと向かうという説もあるようですが、これも具体的な計画位置を示す話としては確認するに至りませんでした。

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そして、こちらは明石市の大久保駅です。西明石駅から1駅西にあり、基本的には普通しか停まらない駅ですが、駅の開業は古く、明治時代までさかのぼります。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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駅にあった周辺案内図は、こちら。一番上に第二神明道路の大久保ICが見えています。この地図は、正に大久保北方を全て描いており、普通に考えれば、弾丸列車はこの地図の範囲に予定されていたことになります。ここで注目したいのは、駅の左上、国道2号線の北側にある空白のように見える部分(矢印の1番)。これは富士通明石工場です。

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この工場は1940年(昭和15年)に川西機械製作所として完成した工場。川西機械製作所は、戦闘機などの製造で知られる航空機製造会社、川西航空機を分離独立させた歴史もある会社で、ここは通信機などを中心とした軍事工場となっていました。もちろん、この存在を無視して弾丸列車ルートを計画することはできません。また矢印の2番は、1943年(昭和18年)に完成した神戸刑務所。ここは明石市ですが「神戸」刑務所です。昭和18年には、弾丸列車建設はすでに進められており、この施設も無視する訳にはいかない時期での完成です。そして矢印3番は、この付近最大の野々池貯水池で、東側は急斜面で落ち込んでおり、この池を直接横断するルートも厳しそう・・・。

★野々池貯水池と周辺の様子は、こちらの記事も参照下さい★

明石の水がめ「野々池」と周辺散歩-王塚古墳から林崎疎水へ-

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そして、こちらが明石市大久保にある神戸刑務所です。毎年秋には「ひょうご矯正展」と題した展示即売会が開かれ、刑務所内の見学も可能。この写真は2013年11月3日の開会式の模様。

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神戸刑務所の北側には、西へとまっすぐに走る道路がありました。確かに工場や刑務所は建設の障害とは言えるのですが、大久保周辺は全体的に緩やかな丘陵地であり、それらを避けて建設することはいくらでも推定が可能・・・残念ですが、これだけではルート位置を示すことはできません。

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そして伊川谷から大久保地区まで、広範囲に点在する神社や疎水などの史跡なども訪ね歩きましたが、やはり周囲はほとんど田園地帯や丘陵地であり、弾丸列車建設に伴う「何か」を発見することもできませんでした。

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こうして見ると、当時の新聞記事の記述も曖昧で、広大な丘陵地や田園地帯となっている伊川谷から大久保北方は、現地の様子を見てみても、ルートを推定することはとても不可能・・・。当時の他の資料を当たっても、決定的なものは出てきそうにありません。しかし、この地区を調査していく過程で、ひとつだけ気になることがありました。それは弾丸列車とは関係ない、別の鉄道建設計画の話。当時、この地区周辺には様々な鉄道計画があり、弾丸道路と合わせて、かなり複雑に進められた様子。それは一体、どのようなものだったのか。時系列的に少し整理しながら、一気に紹介しましょう。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

まず、こちらは1920年(大正9年)2月25日の大正日日新聞です。弾丸列車とは直接関係のない大正期の話ですが、神戸-明石を結ぶ神明急行という鉄道が計画された時期がありました。この記事から、重要な点を抜粋してみます。

同電鉄の予定線は、市内上沢通一丁目聚楽館上手に於て、市電第二期線と連絡し、北折して市の公設住宅地を横断し、長田神社裏手を経て、禅正寺の麓を通過し、妙法寺、中山の線を連ねて明石に入り、大蔵谷より明石駅前に通ずるもので、専用軌道幅員五間全線を複線とし、哩数十一哩十六鎖であって、之に神戸、兎谷、長田、板宿、妙法寺、中山、多門、西舞子、大蔵谷、明石駅前の十一停留所を設置する予定である。

この神明急行は紆余曲折を経て、結局、現在の山陽電鉄の前身となりますが、結局、神明急行のルートは実現には至りませんでした。山陽電気鉄道百年史では、神明急行について以下のように解説されています。(下記は原文を元に、一部かな遣いを修正)

決定した路線は以下のルートだった。
神戸側から、湊川公園下-会下山南麓-神港高校下(トンネル)-兵庫高校山手-長田高校敷地谷間(架橋)-板宿-月見山南麓-武庫離宮下(トンネル)-下畑-神戸商大南麓-大蔵谷-人丸(国鉄を跨線)-明石駅前(明姫電気鉄道と連絡)
【中略】神明急行電鉄は調査委員会の意向に沿って計画を改め、大正9年3月29日に以下の条件を付けて「支障なし」と答申され、同年12月22日に免許された。
1.線路敷設に付いては学校、神社、墓地等は必ずこれを避けること。
2.線路が道路横断の場合は、地下もしくは高架式とし、平面交差をなさざること。
3.隧道を除くのほか、敷設線路の両側には1間(1.8m)宛の道路を設けること。

ここから分かることは、この神明急行のルートは、現在の旧神明道路、つまり弾丸道路にかなり近い計画ルートであるということです。そして敷設条件の1番は、弾丸列車の建設ルートを推定するに当たっても重要となった内容であり、時代背景を知る上で、大変興味深い記述。

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そして1940年(昭和15年)、兵庫県により兵庫県神戸放射道路の建設が始まります。これが第六章で見た「神戸-明石」そして「神戸-三木」の弾丸道路。1940年(昭和15年)11月に兵庫県により建設が決定され、1941年(昭和16年)6月には起工式が行われています。明石方面は現在の旧神明道路となり、そして三木方面は神戸市須磨区の妙法寺付近のみ工事が行われました。大正期に計画された神明急行は、接続相手だった神姫電気鉄道(明石-姫路)が1927年(昭和2年)に宇治川電気に合併され、1928年(昭和3年)には元の兵庫電気軌道(神戸-明石)の路線を使って直通運転を始めたため、この時点で計画は完全に潰えた形となっていましたので、神明急行の建設計画予定地が旧神明道路に生かされた形と言えそうです。そして、その後、1933年(昭和8年)に宇治川電気から路線を引き継ぐ形で山陽電鉄が設立されています。

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しかし、話はここで終わりません。続いて1942年(昭和17年)には神戸市により、神戸-大久保の鉄道計画が持ち上がります。この鉄道計画については当時の新聞記事にも記述を発見できましたが、大海一雄著「西神ニュータウン物語」で、神戸市会史における当時の詳しい計画ルートが記載されていますので、こちらも一部を紹介したいと思います。(下記は原文を元に、一部かな遣いを修正)

1.神戸市須磨区飛松町2丁目11番地地先より同区月見山町、垂水町、明石市、明石郡伊川谷村、同郡玉津町、明石市を経て明石郡大久保町大窪237番地地先に至る。19.8km。【中略】「道路の工事とは別個に単独に進める積り」

この記述から、これはすでに工事が開始されていた弾丸道路(旧神明道路)とは別に計画されていた鉄道建設計画であり、大海氏も推定されていますが、神戸市内から玉津付近までは現在の第二神明道路に非常に近いルートであるということ、そして玉津付近から第二神明道路と分かれ、大久保駅方面へと向かう計画だったことが分かります。

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そして鉄道計画ではありませんが、同時期に建設された軍用道路がもう1つ。こちらは、明石市と舞鶴市を結ぶ国道175号線です。写真は神戸市西区の国道175号線。この道路は、明石市から三木市手前まで、弾丸道路建設と時を同じくして、半ば強制的な用地買収が行なわれ、一気に建設されたと言います。そう、この国道175号線も、舞鶴までを結ぶ軍用道路(弾丸道路)として建設が急がれたものだったのです。

★↓画像をクリックすると、拡大表示します↓★

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かなり情報が多くなりましたが、昭和17年までの、これまでの話を全部図(図2)に示すと、こんな感じです。ここでは黄色く塗った部分が、現在の神戸市西区の範囲。神明急行として計画されたものの実現しなかったルートに沿って、神戸-明石の弾丸道路(旧神明道路)を建設。それとは別に現在の第二神明道路に沿う形で、神戸-大久保の鉄道も計画。更には明石から三木へも弾丸道路の建設が急がれていました。図示していませんが、もちろん神戸-三木への弾丸道路(神戸放射道路)も動き出しています。

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そして更に、神戸-三木(もしくは手前の神出)まで、弾丸道路に並行する形の鉄道計画も進められており、これは現在の神戸市営地下鉄に近い感じ。明石-三木(神出)の国道175号に並行する形の鉄道も計画され、更には大久保-三木(神出)もあったと言います。

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こちらは現在の神戸市西区神出地区に掲げられている、神戸市営地下鉄延伸の希望を訴える掲示板。一見、希望を単に訴えているだけのようですが、こうした歴史を見れば、とても的を得た主張と言えそう。

★↓画像をクリックすると、拡大表示します↓★

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ということで、更にまとめた図(図3)です。当時の町村名も黒字で示してみました。ピンク色が最終的に計画されていた鉄道路線。いずれも、はっきりとした建設位置を示している訳ではなく、あくまで計画区間の概要ですが、こうしてみると、たくさんの計画があったことが分かります。 そして、図の中に示した飛行機のマーク、これは当時の軍用機工場と、戦時中に建設が進められていた飛行場の位置。

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大久保駅近くの工場は、先にみた川西機械製作所です。そして西明石駅近くの工場は、川崎重工業明石工場。当時は川崎航空として工場内に滑走路も備えており、戦闘機を生産している軍事工場でした。現在でも西側から見ると、工場内に一直線の滑走路跡があることが分かります。そして加西市(北条鉄道法華口駅近く)や加古川市にも軍事滑走路があり、明石市とその周辺は航空軍事都市として発展していたのです。

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そして、こちらは関西の超名門ゴルフコースとして名高い廣野ゴルフ倶楽部です。1932年(昭和7年)設立という大変古い歴史を持つゴルフ場ですが、ここで興味深いのは、このゴルフ場は戦時中に一時閉鎖されており、戦後復興したという歴史があること。閉鎖の原因は、川崎重工業の戦時農場として利用するためとのことですが、それは、あくまで表向きの理由・・・ここには、軍用滑走路の建設が進められていました。

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そして、こちらが三木市と稲美町の境にある草谷地区の軍用滑走路(建設)跡です。はるか先まで一直線の道路となっていました・・・。

??

そう、いまさらですが、ここは弾丸列車構想の記事です。明石と神戸市西区周辺の歴史散策記事ではありません。こうして明石や神戸市西区の鉄道計画や弾丸道路を追って、様々な場所を訪ね、詳しく紹介したものの、どこにも弾丸列車との関連を示すものは、やはり見つけることが出来ませんでした。なら、完全に無駄足だったのか・・・いえ、実は最後に示した図(図3)を、もう一度よく見ていると、ある1つの推定、可能性を感じることができるのです。そして、それはこの地図から感じる小さな違和感、疑問とも呼べるものでしょうか。この地に残る網の目状の鉄道計画と弾丸道路、いずれも急ピッチで進められた形跡があります。そして軍事工場と軍用飛行場の存在・・・。そこには、この地に計画されていたという、ある壮大なプロジェクトの存在がありました・・・。

しかし、そのプロジェクトに弾丸列車のルートを重ね合わせて、例え合理的な説明を考えたとしても、それは証明は出来ない全くの空想物語にすぎません・・・。ただ、これまでの新聞記事を、もう一度読み直した時、私はあることを見落としていることに気付いたのです。そして、その記述を追った時、そこには思いがけない、もう1つの新幹線計画が浮かび上がってきました・・・。

★↓引き続き第十章へ。続きは、こちら↓★

明石北方に描かれた大港都構想-浮かび上がる弾丸列車構想の全貌-【第十章】

★お知らせ★

別記事で紹介致しましたが、2月1日と12日に、神戸史学会と中経出版社の方から、弾丸列車構想の内容(一部)が紹介された本が出版されています。改めて、ご紹介しておきたいと思います。

↓「歴史と神戸」(申し込み先)↓

http://www.kobe-sigakukai.com/nc/htdocs/?page_id=34

↓「神戸謎解き散歩」(出版社、新刊案内)↓

http://www.chukei.co.jp/s_bunko/

★前回までの弾丸列車構想については、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

姫路市内に弧を描く幻の新幹線ルート-加古川から新姫路駅へ-【第八章】

姫路市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第八章検証編】

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