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2013年11月16日 (土曜日)

網干駅から南へ・・・東芝、西芝へ伸びる廃線跡-北沢産業網干鉄道跡-

JR山陽本線網干駅。すぐ西側に網干総合車両所があり、京阪神を結ぶ新快速、快速列車なども、この駅を始発、終着とするものが多く設定されています。そんな、関西における西の拠点となるような駅ですが、網干駅を西に出てすぐ左側車窓に注目していると、網干総合運転所に入る直前に、側線からそのまま分岐し、南へ急カーブしていく1本の線路があることに気付くかも知れません。それが網干駅から南へほぼ一直線、沿線の工場を結ぶように、浜田港まで伸びていた貨物線、北沢産業網干鉄道の跡です。

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そしてこちらが、その北沢産業網干鉄道の路線図(図1)です。ちなみに、この鉄道は1943年(昭和18年)頃に、東京芝浦電気(東芝)引込線として建設され、戦後1950年(昭和25年)に北沢産業に移管されました。それでは、さっそく1番地点から見てみましょう。

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こちらが1番地点です。南へとカーブする廃線跡が見えました。線路もそのまま残っていて、状態は非常によく、手前側が切れていなければ廃線とは思えないような姿です。北沢産業網干鉄道の廃止は1989年(1984年には休止状態)であり、廃線からすでに24年が経過しています。

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こちらは2番地点から北を見たところ。線路は1番地点から、きれいに残ったまま続いており、今でも列車が走れそうな感じです。

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しかし、同地点から振り返った南方向、踏切部分は舗装し直されており、線路は寸断されてしまっていました。

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それでも踏切から先は、まだまだ同じように線路が続いています。

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こちらは、3番地点から北方向を望んだところ。

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しかし同地点から南方向を見ると、廃止後24年経った現実が待っていました。線路は突然、民家で途切れ、唐突に行き止まりに。

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こちらは4番地点です。住宅地の敷地となってしまったのは3番地点から4番地点までで、そこから南へは、再び廃線跡が復活。しかし、もう線路は残っていません。

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廃線跡は東芝姫路工場の敷地西側に接するように続いていました。工場内への引込み線もあり、戦時中は網干駅から工場への通勤にも使われたとのこと。元々は東芝工場への貨物線として誕生した鉄道ですが、ここ東芝姫路工場で終わりではなく、廃線跡は更に南へと続きます。

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そこから南への路線図(図2)です。

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東芝姫路工場の南西、5番地点から南へ伸びる廃線跡の空き地。

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しかし、その直後から再び線路が復活。6番地点から北を見ています。

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こちらは、ほぼ同地点の踏切から見たところ。戦時中は東芝姫路工場だけではなく、東芝網干工場もあり、両工場と網干駅、そして港を結ぶように、この鉄道は建設されました。昭和18年頃に建設が急がれたのは、この鉄道と交差するように建設が予定されていた、高速鉄道計画、弾丸列車(新幹線の前身)構想のためだったとも噂されています。

★↓写真をクリックすると、拡大表示します↓★

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そのような計画の歴史を秘めながら、廃止され、錆びていく鉄路。

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6番地点から南へ、揖保川に達するまでは、再び住宅地となり、廃線跡は住宅街の道路や建物の敷地として利用されています。こちらは7番地点から見た廃線跡の道路。

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そして揖保川を渡って、対岸へ。こちらは8番地点から北を望んだところです。川に架けられていたガーター橋は撤去されており、まったく痕跡はありません。

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しかし同地点から南を見ると、そこには揖保川を越えるために築かれた、立派な築堤が残されていました。

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築堤の上には線路も見えており、ここは、この廃線跡最大のハイライト区間と言っても過言ではありません。それにしても、今でも草刈りなどの手入れがしっかりと行われているのが分かります。

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こちらは9番地点から北方向、築堤部分を振り返ったところです。ここに現在でも廃線跡が北沢産業のものであることを示す看板が立っていました。

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南方向は、こんな感じ。未舗装の道の横に、おもむろに線路が続いています。

★↓写真をクリックすると、拡大表示します↓★

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その先で、再び北方向を見たところ。曲がり、歪んだ線路が、ここに流れた歳月を示しているかのよう。廃止から四半世紀、もう貨物列車が音を響かせることはありません。

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海がだいぶ近付いてきました。続きの路線図(図3)です。

★↓写真をクリックすると、拡大表示します↓★

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錆びた線路と一輪の花。

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10番地点です。国道250号線が近付き、ここも住宅地となっていました。線路跡は、写真右側の宅地部分。

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そして国道250号線を越えて11番地点です。北沢産業網干鉄道は、国道250号線をアンダークロス。写真右側が、そのクロス部分。

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そこから南は、堤防の道路として利用されています。

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終点まで、もう少し。西芝電機の敷地がみえてきました。12番地点です。堤防道路は少しだけ右へとカーブしますが、鉄道は反対にここから左カーブ。西芝電気の南側を一直線に東へ。そう、ここ西芝電機が元の東芝網干工場。戦後の国の施策による分離で、昭和25年に東芝から分離されました。工場の南側を抜けた鉄道は、東側で海に突き当たり、そこが終点の浜田港駅(14番地点)でした。

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西芝工場から南の埠頭方面へも支線が伸びていましたが、こちらはかなり早い時期に廃止されたようで、痕跡はほとんど残っていません。ここは道路部分ではなく、写真右手の建物付近が廃線跡(13番地点)。

網干から東芝姫路工場、そして西芝網干工場と港を結び、更には弾丸列車建設のうわさまで。JR網干駅から南に一直線に伸びていた貨物線、北沢産業網干鉄道。貨物専用鉄道だったこともあってか、あまり紹介されることも多くないとは思いますが、廃止後24年が経過しても、今なお多くの場所に線路が残され、その歴史と役割を、後世に伝えている廃線跡でした。

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