現存日本最古の鉄道トンネルと連続する明治隧道-旧北陸本線、柳ヶ瀬越えから山中越え-【後編】
敦賀駅を挟んで前後の区間、北陸本線の木ノ本駅から湯尾駅までの区間は、昔は柳ヶ瀬越え、山中越えと呼ばれる、鉄道の難所となっていました。新線への付け替えにより消えた、これらの旧北陸本線は、大部分が道路となりましたが、そこには鉄道時代のままのトンネルがそのまま残されていました。明治時代に完成した、古い隧道を訪ねて。前編からの続きです。
★2部構成記事です。前編はこちらをどうぞ★
現存日本最古の鉄道トンネルと連続する明治隧道-旧北陸本線、柳ヶ瀬越えから山中越え-【前編】
こちらは敦賀駅の北側、今庄駅、湯尾駅まで続いていた旧北陸本線、山中越えの地図です。前編では6番の曽路地谷隧道(399m)を抜け、杉津駅跡まで走りましたが、今回はそこから先へ。雨の激しくなる中、今庄方面へと更に廃線跡をたどります。
杉津駅跡(北陸自動車道杉津PA)を出ると、まず現われたのは第一観音寺隧道(図の7番)です。全長は82mで、出口も見えているため、閉塞感はありません。
ポータルや下積部分は石造りで、上部はレンガ製となっています。
抜けるとすぐに、次のトンネルが見えてきました。
第二観音寺隧道(図の8番)です。照明は付いていますが、内部は少し霧がかかっていて、幻想的。カーブしていて出口が見えないため、対向車が確認できません・・・慎重に内部に入ります。
第二観音寺隧道の全長は310m。カーブを曲がると出口まで一直線です。
抜けると、すぐに次のトンネルが。
曲谷隧道(図の9番)です。こちらもカーブしていて、見通しが効きません。運悪く対向車が来れば、バックするしかないですね・・・
こちらの全長は260m。内部はカーブしたままで最後まで出口が見えません。そう長くはないトンネルですが、パッシングを繰り返し、存在を示しながらの通過は、なかなかのスリル。
そして、出口が見えてきましたが・・・
霧です。真っ白な世界になってしまいました。
そして霧の向こうから現われたのは、芦谷隧道(図の10番)。
中をのぞきますが・・・直線のトンネルなのに霧のせいで出口が見えません。吸い込まれそうな光景です。
このトンネルの全長は223m。途中からぼんやりと出口の光が見えてきました。
そして、更に霧の中から信号機付きの隧道が。
伊良谷隧道(図の11番)です。
こちらも、内部はカープ。しかも長い。。。全長は467m。信号機付きなので対向車の心配はありませんが、連続するトンネルは、本当に異次元、非日常の世界。どこかのテーマパークのアトラクションを体験しているような気分です。
そして、伊良谷隧道を抜けました。出口にも対向車はいません。天候のせいもあってか、杉津を出てから、ここまで1台とも出会わず、本当に静かな山道です。
そして、ついに現われたのが、山中隧道(図の12番)。トンネル進入時対向車注意の標識が、わざわざ掲げてありますが・・・
こちらの山中隧道の全長は、実に1,194m。1km以上にもなるトンネルです。暗い、長い、狭い・・・その上、本日は霧で見通しが効かない・・・1km先までの対向車を確認するなど不可能です。来ないことを信じて、突き進みます。
突き進むこと数分、待望の出口の光が見えました。
そして出口。やはり、誰もいません・・・山中越え最大、最長の隧道を抜けましたが、柳ヶ瀬隧道と同じ規模であり、このトンネルにも信号が欲しいですね。
抜けた場所は山中信号所の跡で、スイッチバックだった線路の跡などが残っています。ただ今回は、雨もひどいため、そのまま通過。
鉄道用のロックシェルターを抜け、今庄へと下っていきます。
谷も広がり、山を抜けたという感じがしてきました。当時、蒸気機関車が行き交った築堤の上を、快適なドライブ。
そして大桐駅跡(図の13番)に到着です。
そこからは道も広くなり、そのまま現在の北陸本線、南今庄駅へ。ここで現在の北陸本線と合流かと思いそうですが、ここはまだ合流地点ではありません。
旧北陸本線は、前方の山を避け、左へと迂回していました。
現在の北陸本線とは、今庄駅手前で合流。ちょうど、普通電車がやってきました。新型となった521系の普通電車です。
ということで、山中越えの旧線区間は終了しましたが、そこから先にも、廃線跡の明治時代のトンネルがあります。今庄駅から湯尾駅までの、ちょうど中間地点。
それが、こちら。湯尾隧道(図の14番)です。カーブがきついため、ここにも信号機が付けられていました。
湯尾隧道の全長は400m。ここは住宅地にあるトンネルのため、利用も多そう。
今回の明治隧道は、これで最後。最後のトンネルを抜けました。
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明治期に作られた、旧北陸本線の鉄道用隧道ですが、文化財として大切に残されると嬉しいですね。
文明開化の明治時代に作られた、100年以上の歴史を持つ、旧北陸本線のトンネル群。それは、急峻な山並みを越えるための努力の結晶でした。
そして湯尾駅手前。現在の北陸本線に合流です。
特急が多数駆け抜ける、現在の北陸本線の改良の歴史。その苦闘の歴史を今に伝える、旧北陸本線柳ヶ瀬越え、山中越えの明治隧道でした。
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