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2013年5月27日 (月曜日)

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

前回、第七章で考察を進めた、神戸市内の弾丸列車構想。布引、平野、そして烏原貯水池の状況から、標高95m付近が建設計画位置と推定され、更に西への考察で、その結果を裏付けるような状況が次々と明らかになってきました。

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こちらは、第七章で浮かび上がった神戸市内の弾丸列車の建設計画ルート(図1)です。今回は、この図の範囲を現在の山陽新幹線新神戸駅、布引地区から西へと、その推定ルートを実際に訪ね、さらに検証を深めてみたいと思います。

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こちらは、図1の白丸1番の範囲(布引地区)を拡大した図(図2)です。図1は、東西方向を50%に縮めて表示していましたが、こちらの図では縮めていません。図1で示した弾丸列車の建設推定ルートを、この図にも示すと、緑色のラインのような感じになります。

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更に詳細に見てみましょう。こちら(図3)は、さらに図2の赤い四角部分を拡大したもの。前回の第七章で示した図と同じもので (標高の色はそちらで説明していますので省略します)、この図にも推定ルートを重ねてみます。丸印の部分が布引雄滝の位置。この位置関係は、当時の新聞記事「布引の滝付近からの横穴等から」という地質調査地点を示す記述と、見事に一致していることになりますが・・・

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こちらは、その布引雄滝です。滝の写真を撮る人は多いと思いますが、この角度を撮る人は少ないかも知れません・・・写真右手方向に布引雄滝があり、この写真にはその滝つぼだけが写っています。そして左手に見える柵の場所が滝の展望場所。階段の上には、お地蔵さまが祀られています。

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その、お地蔵さまの前に来ました。長年、この滝を見守ってきたのでしょうね・・・

後ろに、何か見えていますが・・・?

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それが、こちら。後ろの斜面に見えていたのは、立入禁止と書かれた、1枚の看板でした。しかし、お地蔵様の後ろは急斜面であり、そもそも道はありません。

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標識があるのは、このような場所。もはや標識に近付くことすら困難です。立入禁止と書かなくても、誰も近付かない・・・いえ近付けないような斜面・・・

こんな場所に、なぜわざわざ標識が??

その答えは、標識ギリギリまで接近して判明しました。

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それが、こちら。標識の奥、雑木の間から見えたもの・・・それは、斜面に開いた穴・・・黒くぽっかりと、その口を開けていました。その場所は、図3の矢印部分・・・そう、正にここは推定ルート直上。そして、当時の新聞記事の記述通りの場所。これが、弾丸列車工事の為に掘られた、地質調査の横穴跡であるとしたら・・・そう考えると、全ての辻褄が合ってきます。

※神戸市灘区のT様より、この穴は戦時中のものであり、弾丸列車工事のものと伝えられている旨、情報を頂きました。この場を借りまして、お礼申し上げます。

布引地区の検証結果から、推定ルートは布引雄滝の真下、図3に示したルートでほぼ間違いなく、また、ここから東の徳光院境内地下にかけて大停車場を掘削し、建設する構想であったと結論付けることができます。

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そして、図1の白丸2番(平野)から白丸3番(烏原貯水池)の図(図4)です。緑色のラインは、先ほどと同様、図1の推定ルート位置を示しています。祥福寺北側は、第六章から第七章で見た通り、急斜面の山となっており、この位置では、当初計画の新神戸駅はトンネル内部に建設される構造となりそうですが・・・

ここで思い出して頂きたいのは第六章で紹介した昭和16年8月6日の神戸新聞。そこには、こう書かれていました。「神戸停車場は大体平野方面に設置される予定だが、地下停車場にするか地上停車場にするかは未定である」・・・と。

私は最初、この記事の意味を、建設位置が未定のため、まだ地下になるか、地上になるかは分からない、という意味に解釈していました。しかし、それは違うのではないか・・・もし建設位置が決まっているとしたら、その意味は反対になる・・・つまり、地上駅にも地下駅にもできる位置のため、どちらにするかは未定だという意味に。

となると、当初予定の概要が浮かび上がってきます。

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それが、こちら(図5)。祥福寺北側の赤い枠で囲んだ標高100m以上の部分を削れば、駅は地上に現われます。反対に、そのままなら地下となる・・・そう考えると、当時の新聞記事の記述の意味もはっきりしてきます。トンネルを抜けた弾丸列車は、この位置で、大きく造成工事された新神戸駅に到着する・・・そのような概要であったと推定できるのです。

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それでは、ここも現地の様子を見てみることにしましょう。こちらは図5の1番、当初の新神戸駅の東側の谷筋です。この谷筋には、小屋の跡のようなものがたくさん建っていました・・・ここは登山道の入口ですが、現在では訪れる登山者も少ないルートとなっています。もし、新神戸駅がこの地に出来ていたら、雰囲気は大きく変わっていたかもしれません。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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そして、1番の少し西、登山道からの神戸市街地の眺め。神戸港が目の前に見えています。左端に見えているのがポートタワー、右端に見えているビルが、神戸駅前に建つクリスタルタワーです。もし新神戸駅が平野に地上で建設されていたとしたら、ホームからの眺めは、きっとこれに近いものになっていたはず・・・こうしてみると神戸駅まで、そう遠くないことを実感できます。

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そして、2番地点にある平野の祇園神社です。大変古い歴史を持つ神社で、この周辺は神戸の歴史地区とも言えるような場所。もちろん無視して建設、通過することはできません。推定ルートは、この神社の北側を通過。

★神戸平野、祇園神社の夏祭りの模様は、こちらをどうぞ★

神戸平野祇園神社の夏祭り(祇園まつり)

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そして、祇園神社の西側、3番地点です。ここには平野展望公園があり、休憩所も設置されています。駅が出来ていたら、ホーム前に隣接する展望場所となっていたかも知れませんね。。。

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そこから西を見ると、丘陵地形が更に西へと続いているのを見ることができました。この丘陵地形を利用して、弾丸列車は西へと進むことになります。

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そして4番地点付近です。ここにも長い歴史を持つ大山咋(おおやまくい)神社があります。古くから日吉山王の社として崇拝されてきました。推定ルートは、この神社の北側の山地を通過。

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そして、もう1つ。こちらは大山咋神社の北側、深い山の中にある豊国稲荷です。手入れがされておらず、山道のような参道は荒廃が進んでいました。創建は不詳ですが、推定ルートは、この神社も避け、南側を通過する形となります。

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そして5番地点の烏原貯水地に到着しました。丘陵地形を利用し、推定ルートは、この満水面より少し上を通過。堰堤の南側から、この写真の位置を正面の山へと突っ込みます。平野を出て最初のトンネルとなります。

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そこから先の図(図6)は、こちら。最初のトンネルを抜けると、鵯越、丸山地区。

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6番地点から東方向を望みます。推定ルートは、正面に見える2本の重なった鉄塔の真下あたりからトンネルを出て、神戸電鉄89m地点(図6の矢印位置)を通過、丸山の斜面に取り付きます。

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こちらは7番地点です。推定ルートは、この写真位置より少し北側を通過。この写真の位置は、実は天然記念物に指定されている場所で、日本初の発見となった神戸丸山衝上断層の位置。案内板のある真後ろが衝上断層です。昭和12年に天然記念物に指定されました。

ここで、少し疑問がわいてきます・・・衝上断層が発見されたすぐ近くを弾丸列車の推定ルートは通過する形となります。昭和12年に発見された断層の近くに建設するのは、果たして妥当なのか、という疑問です。

その疑問には、その当時の学術的な背景から答えられるのではないか、と考えています。当時は地盤(プレート)が衝突したり沈降したりするという考え方はなく、山地というものは隆起によって出来ると考える、いわゆる地向斜という考え方が主流でした。詳細な解説は省略しますが、六甲山地も地向斜で説明できると考えられており、このような衝突型の断層の存在は論外だったのです。そのような中、この衝上断層の存在は議論の的となり、否定する学者も続出したと言います。昭和30年代に入っても、なお否定的な学者が存在し続けた・・・

学問、研究というものは、天動説と地動説に例を見るまでもなく、その時代、時代の要請、そして風潮に左右され、発表されてしまう場合が多々あります。そして、それは現代ですら続いている・・・私たちはそのような学者の話を、最近、いろいろな場面で見る機会が多かったのではないでしょうか。ここは原○力発電所建設時に行われた断層解釈、また津波想定の場ではありませんので意見は控えます。ただ1つ言えることは、弾丸列車建設を前に、この時代、この衝上断層には否定的な学者の意見が出続けていたということです。

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そして、8番地点の長田区長者町です。ここの山の中腹からも、先ほどの鉄塔が木の間から確認することができました。ここの標高は約100m。この真下の斜面を削り、弾丸列車は高取山へと入っていきます。

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現在の高取山登山道付近から見た、想定ルートです。正面の山の中腹から、こちらへ抜け、平野を出て2つ目のトンネルに入ります。そして正面の山の中腹が、当時の高取山登山道付近。測量工事が行われていたという伝承が事実とすれば、それはこの付近であったと思われます。前回、ご協力頂いた家も、この付近。家の真下が、弾丸列車の通過地点と重なっており、当時、地盤を調査していたのではないかと考えられます。

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そして、2つ目のトンネルを抜けると、妙法寺地区(図1の白丸5番)です。

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2つ目のトンネル出口付近、9番地点です。道路上から東方向を見ています。トンネル出口は、正面の鉄塔付近。西宮市でも鉄塔がキーポイントになりましたが、この付近も、予定地と思われる場所には鉄塔がよく建っていますね・・・

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ちなみに、この道路は昭和13年に、改良工事が行われて開通したもの。9番地点には、完成を記念する石碑が残されていました。濃い色で示した道が、その道路。トンネルを出た弾丸列車は、この道路と立体交差し、更に西側で弾丸道路と交差します。

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そして10番地点、3つ目のトンネル入口です。東方向を見ています。ここは市有地となっていました。右側に見えるビルが邪魔していますが、ビルの向こう側に弾丸道路の建設跡があり、正面に見える造成中の山の右手側から、ここへ達するルートとなります。

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市有地を別角度で見ると、こんな感じ。ここから3つ目のトンネルに突入し、更に西へ。次の奥畑地区は、前回の詳細図を参照下さい・・・

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神戸市須磨区妙法寺。ここは、かつて高取山の山麓にかけて産出する石炭で賑わった時期があり、いくつかの炭鉱があったと言います。神戸市内に石炭の炭鉱があったとは、今では想像もつかないですね・・・写真は、今となっては貴重な、その神戸産の石炭です。良質のものではなく、取れたのは亜炭、泥炭と呼ばれるようなものでしたが、それでも当時としては貴重な資源だったとのこと。

※Hさんより、ご協力頂きました。ありがとうございました※

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第七章で浮かび上がった想定ルートを布引から妙法寺へ。。。ここで第七章で書き切れなかった検証編は終了です。最後までご覧頂き、ありがとうございました。次回は、いよいよ伊川谷から明石へ・・・と言いたいところですが、調査は難航しており、まだ公開できるかはっきりしていません。。。という訳で、次回は加古川から姫路へ。先に姫路市内のルートを訪ねてみたいと思います。

★↓続きは、こちら↓★

姫路市内に弧を描く幻の新幹線ルート-加古川から新姫路駅へ-【第八章】

★前回までの弾丸列車構想については、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

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コメント

ジグソーパズルが1ピースずつ埋まっていくような感じで毎回読ませて頂いてます。今後の展開も楽しみにしております。

六甲山人さん、こんにちは。

ありがとうございます。神戸市内の調査が、やっとまとまりました。なかなか不明なことも多いのですが、少しずつ判明したことをまとめることで、少しでも考察が深まればと考え、ここまで来た感じです。明石付近も不明なことが大変多く、先に姫路市内を完結させようと考えていますが、何とか明石付近も判明した部分だけでも紹介できればと思います。今後とも、よろしくお願い致します。

遅ればせながら楽しく読まさせていただいています。
私の地元を検索してましたらここにきていました(笑)
非常に興味深い調査でありまして、特に9番地点は祖父がいた付近で馴染み深く、10番付近はワタシが小さいころ探検に行った場所でした。
私の自宅は1980年代、名谷駅近くにあり南落合になぜかずっと開通せず板で遮られているトンネルがあり侵入しましたらそこはタイムスリップしたかのような藁葺屋根の家と水車小屋の集落で髪の毛が逆立った記憶があります。
現在そのトンネルは開通しており名谷方面から阪神高速31号神戸山手線妙法寺出入口へ接続するトンネルとなっています。
しかし、昭和40年代の蓮池地区の写真が掲載されていましたが思ったより近代的でしたので私が見たあの景色はなんだったんだろう?
蓮池より西側でしたので開発の手が届かない場所だったのかな?
神戸に帰りたくなりました。楽しい記事これからも楽しみにしてます!

神戸の元住人ですさん、こんばんは。
ご訪問、ありがとうございます。この弾丸列車の調査の中では、妙法寺から名谷にかけ、地元の方にかなりご協力を頂きました。古い写真なども、提供頂きながらの調査となりましたので、懐かしい写真があれば嬉しいです。トンネルを抜けた蓮池あたりの、藁葺き屋根ですか…あの辺りには、山沿いに小さな豚小屋や、川沿いに鶏小屋があったかとは思います。妙法寺小学校方面には牛小屋も…1970年代頃でしょうか。もしかしたら藁葺き屋根もあったかも知れません…
弾丸列車構想は不明となっている部分が多かったのですが、何とか兵庫県内全線の姿に迫りたいと考えています。調査としましては妙法寺周辺はいったん終了しておりますが、今後も神戸中心の話題で続けて行きたいと思っていますので、また違った話題で妙法寺周辺も取り上げてみたいと思っています。今後とも、よろしくお願い致します。

https://goo.gl/maps/5XVxM
34.676806, 135.119148

前からこのコンクリートの塊って何かなと思ってたんですが。

情報、ありがとうございます。
六甲全山縦走路の脇にある、コンクリート塊てすね。六甲全山縦走をした頃に私も、何かな、とは思っておりました。古いコンクリートの塊で、年代的にはかなり古いもので間違いないようです。拙速な結論は避けたいと思いますが、現時点で、これは弾丸列車計画と関連がある何らか痕跡、と判断致します。貴重な情報、本当にありがとうございました。このコンクリート塊については調査を進めておりますので、何らかの結論と共に、次回の完結編で掲載できればと思います。よろしくお願い申し上げます。

「地図・空中写真閲覧サービス」
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do

↑を見てみると、戦後すぐの件のエリアには、比較的大きな建物のようなものがありますね。
ただし、位置はコンクリ塊とはずれているようです。

あと、このあたり↓も参考になりますね。

今昔マップ
http://ktgis.net/kjmapw/

地図・空中写真閲覧サービスは、私も参考にしています。当時は、米軍が撮影したものが、ほとんどですが、不鮮明な部分がありながらも貴重な資料ですね。登山道付近のコンクリート塊については、当時の航空写真では良く分かりませんが、何の痕跡なのか、なぜこのような形状なのか、気になるところです。
今昔マップも、役に立ちますね。図書館や資料館で、古い地図を見ていたことから考えると、自宅で簡単にというのは、すごい時代だと思います^^

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