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2013年4月 7日 (日曜日)

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

シリーズを重ねて調査を続けている、戦前の高速鉄道計画、弾丸列車構想。大阪市内から尼崎市、西宮市、芦屋市まで(序章から第五章まで)の調査に続いて、前回第六章から、調査地点は神戸市内へ。しかしながら神戸市内で見たものは、弾丸列車計画の痕跡ではなく、神戸市から明石市、三木市へと放射状に計画された軍用道路「弾丸道路」建設の痕跡。。。そして、当時の新聞記事に示された地点にも、弾丸列車計画の痕跡を示すようなものは何も発見できませんでした・・・果たして、神戸市内の弾丸列車建設予定地は、どこだったのか。新幹線の原型となった知られざる高速鉄道の建設計画を求めて。第六章からの続きです。

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まず、こちらは第六章で訪れた地点の1つ、元々の新神戸駅建設予定地だったという、兵庫区の平野、祥福寺周辺の地図(図1)です。「祥福寺北側」というのは、当時の新聞記事に唯一示された具体的な記述であることから、避けて議論することはできません。○印が祥福寺の位置。祥福寺「北側」というのが果たして、祥福寺からどの程度北側なのかは分かりませんが、「祥福寺」という具体的な名称を示す以上、それほど離れた場所ではないと考えられます。ここで問題となるのは、やはり西にある烏原貯水池(立ヶ畑ダム)の存在。図では、この貯水池を迂回するように矢印を示してみました。

まずは、この貯水池を避ける方法を考えてみることにしましょう。

1、貯水池の北側へ迂回する

2、貯水池の南側へ迂回する

3、貯水池の上を(橋などで)乗り越える

4、貯水池の下をくぐり抜ける

他にも「貯水池を取り壊し、過去の谷に戻して通過する」という荒業もあり得ますが、非現実的であることから、ここでは考えないこととします。そうすると、現実的な対応としては、この4つ、貯水池の北か、南か、上か、下か、しか答えはありません。では、このうちのどれなのか。

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結論から言えば、1番から4番どのコースでも建設は可能です。こちらから問題を提示しておいて、何だと思われるかも知れませんが、ここで問題となるのはダムの堰堤正面くらい。貯水池の東側には東西を結ぶように自然の丘陵地形(図1の□部分)もあり、ダム正面さえ避けて、あとは建設する高ささえ変えれば、どこでも通過は可能と考えられるからです。確かに貯水池の下をくぐるのは難工事とは思われますが、深い場所でトンネルにすれば無理ではないはず。

そう、これでは何の参考にもなりません。では、一体どう考えたらいいのでしょうか。

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こちらは、祥福寺から烏原貯水池付近の標高図(図2)です。緑色が標高50mまで、黄色が50m~80m、オレンジ色が80m~100m、濃い青色が100m~150m、紫色が標高150m以上を示しています。

こうして見ると烏原貯水池周辺はオレンジ色・・・標高80m~100mに位置する貯水池だということが分かります。そう、烏原貯水池の満水面は標高約90m、昭和10年の記録を見ると、正確な数値は87.3m、満水時の最大水深は28.7mであることが分かります。単純に考えると、貯水池の上を越えるには最低標高90m以上、貯水池をくぐるには標高50m以下で建設しなければならないことになりますが・・・ここで重要なことは、祥福寺の北側の標高もオレンジ色だということなのです。

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こちらは、五宮神社から見た祥福寺(写真の左側)です。ここの標高は約70m、そして祥福寺の塔の建っている場所は標高80mとなっています。当時の新聞記事通り、当初の新神戸駅予定地が祥福寺北側とすれば、トンネル内に建設する予定ではない限り、この標高以下であることはまず考えられません。祥福寺北側から烏原貯水池までは、ちょうど1kmほどであり、新幹線の勾配では、1kmで標高80mから標高50mに下ることはできません。ということは、貯水池の下をくぐる案(4番)は、まずありえない。そして、この標高80m~100mのラインは、この付近で東西方向、ほぼ直線状に分布していることも図2から読み取れます。

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ここで、第6章の最後に示した、当時の弾丸列車通過地名の写真です。祥福寺の標高は最高地点で約80mでした。では妙法寺の標高は・・・この写真の位置で標高約90m。そして奥畑も標高約80m。そして布引の滝、この布引雄滝の滝つぼは、標高110m~120mに位置しているのです。そう、布引は地下駅予定でしたので、この谷筋に顔を出す訳にはいきません。地下に建設するならば、少なくとも標高100m以下となるでしょうか。つまり、ここで示した4つの写真は(布引の滝部分は地下として)、全て図2の塗りわけで言う、オレンジ色の部分に位置しているのです。これは、ただの偶然なのでしょうか・・・

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こちらは、現在の新神戸駅、布引の滝周辺の標高図(図3)です。この図を見ると、徳光院の東側には谷があり、そこは標高100m以下となっていることが分かります。地下駅とするならば、この谷に出ないような深度でなくてはなりません。山の奥へと進めば、いくらでも自由に建設できますが、市街地に出るための駅ですから、極力南側に寄せて考えると、標高によって限界となるラインが出てきます。

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それが、こちら(図4)です。標高100mに建設するとすれば(オレンジ色の部分に顔を出すわけにはいかないので)、Aのラインが限界、標高70mに建設するとすれば(黄色の部分に出ることはできないので)、Bのラインが限界となります。ちなみに黄色い★印は、布引の滝の位置。下が布引雌滝、上が布引雄滝です。当時の新聞記事の記述は「布引・川崎邸跡に横穴を掘鑿」「布引の滝付近からの横穴等から」となっており、このライン付近が新神戸駅予定地と考えて矛盾はありません。そして川崎邸というのは、川崎グループの創始者であり神戸新聞の創刊を手掛けた、神戸川崎財閥の男爵、川崎正蔵の邸宅のこと。徳光院は、川崎家の菩提寺として開基された寺で、周辺は川崎家の敷地となっていました。この付近で調査したという記述は、逆に言えば、新神戸駅予定地がAとBのライン付近の標高であることを示唆しているとも考えられます。

こうした考察から、1つの可能性がわいてきます。

弾丸列車の神戸市内の建設計画は、標高70m~100mのラインなのではないか・・・いえ、更に言えば、それは烏原貯水池を越える標高90m以上、そして布引で示唆された標高100m以下のライン・・・つまり標高95m前後という、極めて限定されたラインなのではないか、と。

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こちらは、布引から奥畑にかけての標高図(図5)です。分かりやすいように、東西方向を50%に縮めて表示しています。ここで黄色は標高100mまで、濃い青色は100mから300mまでを表しています。赤の□で囲んだ地域が、弾丸列車構想でポイントとなる地点。1番から6番まで順に「布引(地下)」、「平野(元新神戸駅予定地)」「烏原貯水池」「鵯越」「妙法寺」「奥畑」で、更に緑色の○印が横尾山を中心とする須磨アルプスと呼ばれる山域です。

この図を見ると全ての地点に、ある1つの共通性を発見することができます。そう、赤の□で囲んだ地域は、全て、山地(濃い青色)に食い込む標高100mまでの(黄色く着色した)谷筋、その北端部分となっているのです。弾丸列車の建設予定地が標高95m前後で考えられていたとすれば、当時の新聞の示す地名の場所、その全てで地上を走ることになる・・・これは、もはや偶然の一致とは思えません。

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その標高100mの各終点部分を結ぶように線をつなぐと、ある1つのラインが浮かび上がってきます。それが上の図(図6)のAルート。2で祥福寺の北側を通り、3で烏原貯水池の北を抜け、4で鵯越を抜け、5で妙法寺の北端を通過、6の奥畑へと抜けるコースです。標高100m以上(濃い青色)の部分はトンネルで、標高100m以下(黄色)の部分は地上を走ることになります。これが弾丸列車の建設予定コースなのでしょうか。

いえ、このコースには1つだけ大きな問題がありました。それは、当時の新聞記事の記述・・・第六章でみた新聞記事には、こう書かれていたはず・・・。「須磨アルプスを前後六つのトンネルにより縦断、奥畑、伊川谷村を抜けて・・・」と。須磨アルプスとは現在の横尾山を中心とした山域の名称。小さく限定されたものではなく、比較的広い山域を示す名称と考えられますが、Aのルートでは少し北へ外れすぎている印象です。また、地域の噂では「高取山の登山道付近で測量工事を行なっていた」との話もあったとのことで、信憑性は分からないとはいえ、Aルートでは話が合いません。

では、できる限り南にずらして、高取山と須磨アルプスにかかるようにすると、Bルートのような感じになるでしょうか。烏原貯水池の南側を抜け、鵯越の南部を通過、高取山、須磨アルプスの北部をかすめて行くルートです。しかし、これでは奥畑に出ることは出来ず、むしろ旧奥畑村の南、旧中山村や旧滑(ナメラ)村の範囲に出てしまいます。これでは、新聞記事にわざわざ奥畑の地名を出した意味が分かりません。そして、あまり南にずらすと、谷が深くなってしまい、非常に高い橋梁で対岸へ渡らなくてはならなくなることも問題となって来るでしょうか。

そう、標高だけの考察では、ある程度の可能性を示すことが精一杯で、図6で示したAとBのラインの間が最も可能性が高いと思われるものの、ルートを特定することはできません・・・布引や平野は駅を含む予定地でしたので平坦なラインと考えられ、烏原貯水池を抜けるまでは標高95m前後であり、その後も標高90m~100mの計画であることを強く示唆してはいますが、それだけでは、通過予定地点を示すことは無理なのです・・・。

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2013年の新年1月・・・私は高取山の登山道に立っていました。下に見える谷が鵯越の谷筋です。左に見える丸い山が、その名の通りの丸山で、中腹に住宅街の広がる正面の山の向こうに、烏原貯水池があります。当時の弾丸列車計画では、平野から烏原貯水池を越え、この付近に出てくる計画だったはず・・・それがどこだったのかは、この春霞の景色のように、淡いベールの向こう側。。。

!?

この音は・・・?

私の耳に聞こえてきたのは、電車の音・・・はっきりと、大きく、その音は聞こえてきます。

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谷の向こうを行く1本の電車の姿・・・そう、それは神戸電鉄の電車の音でした。都市部では屈指とも言える急勾配鉄道、山の中腹を走る電車の音が、こちらまで、はっきりと聞こえてきます。

いえ、弾丸列車とは何の関係も・・・

え?

そうか、もし、そうだとしたら・・・弾丸列車計画を示すヒントが、とんでもないところから姿を現すことになる・・・私は改めて、この地点の標高を見直しました。

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それが、こちら。先の写真に、10m毎に標高を示したものです。緑色が60m、黄緑色が70m、黄色が80m、オレンジ色が90m、赤色が100m、そして濃い赤色が110mを表しています。先ほどの電車の位置、そう神戸電鉄の電車が写っているのは、ちょうど標高90mのライン。左の丸山の向こう側に丸山駅があり、その駅の標高は約95mとなっています。

そう、烏原貯水池を越えるのに必要な標高と同じ約95mなのです。

つまり、弾丸列車計画のルートが平坦なものだと仮定すれば、烏原貯水池を越えたあと、この地点で神戸電鉄の線路とぶつかることになる・・・ちなみに新幹線の建築限界は、レール面から7,700mm、つまり約8m。軌道部分も含めれば建設には約10mの空間が必要です。つまり標高95mに建設するなら、神戸電鉄の線路は標高105mまで上がってなくてはならない。逆に、神戸電鉄は電化された普通鉄道ですので、レール面からの建築限界は約6m。標高95mの弾丸列車をくぐるには、(レール面が)標高89mより下であればOKということになります。

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そして、神戸電鉄の標高105m地点(A)と89m地点(B)はこちら(図7)。塗りわけの色は図2と同じです。105m地点は図6で示したAルートに近く、89m地点はBルートに近い。特に89m地点は丸山への斜面へと続く標高90mの稜線部分。Aルートが須磨アルプスの記述から北へ寄りすぎていたのならば、そうBルート付近に位置する、この地点が弾丸列車の計画ルートなのではないか・・・

いえ、それは、いそしずの勝手な憶測にすぎない・・・そもそも、弾丸列車(新幹線)が平坦なコースで建設されるという根拠は、ここまで何一つ示されていない。勾配を考えれば、神戸電鉄を上下に避けることなど容易であり、建設位置決定の証拠にはならず、このような考察は意味がない。

確かにそういう意見もあるかと思います。現在の新幹線の設計標準勾配は10‰(パーミル)、これは1,000mで10mの高低差であり、設計最大勾配は東海道新幹線で20‰、山陽新幹線で15‰となっています。弾丸列車計画でも東海道新幹線と同じ標準10‰、最大20‰であったとされており、確かに勾配を考えれば、可能性はいくらでも語ることができる・・・

しかし、ある1つの可能性が、ある方向を指し示しているとしたら・・・

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その可能性を確かめるため、長田区長者町で聞き込み調査を敢行しました。ここは高取山への登山道入口付近。東方向を見ています。右へ入る道が、高取山への登山道。六甲全山縦走路にも指定されている場所です。そして、この写真付近の標高は約95m。

そして、この地区の、ある場所で、1つのお話を聞くことができました。それは標高100m付近に建つ1軒のお宅。何年か前、突然家の敷地で穴が開いたという話でした。深さは5mほどで横穴状になっていたとのこと。気持ち悪いので、神戸市に調査を依頼したが、この付近で穴を掘った記録はなく、結局、何か分からないまま終わり、トラックで土砂を運んで埋め戻してもらったそう・・・自然に出来た陥没穴ではなく、人工的に掘られた穴だったことは間違いなかったそうです。そして、この家の敷地の前・・・そこは「当時の」高取山への登山道だったと言うのです。(※公開許可を頂いていないため、今回は具体的な場所の写真は伏せさせて頂きます。重要ポイントであるため、可能な範囲で次回お知らせしたいと思います)

そして、この場所から、「あの」場所へは、西へ一直線・・・そう、その場所は、ここ。

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当時、ラジオ体操などで使用されていたという、妙法寺のこの場所。そう、弾丸道路(放射道路)建設の跡地、築堤の上なのです。

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築堤の高さは約5~6m、標高は築堤上で約80mはあったはずです。この写真は当時、下の道から撮られたもの。弾丸道路の築堤をくぐれるように、当時はトンネルまで作られていました。

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妙法寺の標高図(図8)です。長者町からまっすぐ西へ。弾丸道路の築堤は、まさにその延長線上に位置していました。そして、さらに西へ目を向けると・・・

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奥畑への標高図(図9)です。右端の○印が妙法寺の弾丸道路の位置。この図では標高150mから200mを薄い紫色、標高200m以上を濃い赤色で分けてみました。標高150m以上は、右下の横尾山(須磨アルプス)周辺しかなく、奥畑の谷間まで標高100mから150mの青色ばかり…そう、この付近は須磨ニュータウンとして、昭和40年代に大規模な造成工事が行われた場所。元の地形は完全に失われ、広大な住宅地となっているのです。これでは、弾丸列車計画当時の様子を推測することは出来ません。

ということで、昭和10年代の地形を復元してみましょう。

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それが、こちら(図10)。奥畑の谷は、今より周辺に深く伸び(オレンジ色の部分)、また横尾山(須磨アルプス)の稜線も、北へ大きく張り出していたことが分かります。そして弾丸道路から西へ、ここへラインを伸ばすと・・・標高95m付近とすれば、2ヶ所で地上に出ることになる…そして、ここはまた、横尾山から伸びる稜線の真下。山を示すとき、裾野までをその名で呼ぶことは自然な考え方です。つまり、横尾山(須磨アルプス)は、大規模造成工事によって北側を削られ、その範囲を大きく縮小させた…当時の地形から見れば、ここで示したルートは、須磨アルプスを抜け奥畑に至るという当時の表現と、矛盾なく一致していると言えるのです。

それでも、まだ反論がありそうです。弾丸列車計画のルートが平坦に近いものであったという根拠は、相変わらず何もない。勾配を使えば、神戸電鉄を避けることなど容易である、との指摘に、いそしずは勝手に西へと話を進めるばかりで、何も答えていない、と。

いいえ、その問いには、もう答えているのが、お分かりでしょうか。

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もう一度、全体図(図11)です。標高95mを追いかけて示したラインは、ここ。平野の新神戸駅を出て、烏原貯水池南端を通過、トンネル(1)を抜け、鵯越の谷の90m稜線から丸山の斜面に取り付き、長者町の高取山登山道を通過しトンネル(2)に突入、妙法寺の弾丸道路を通過してトンネル(3)に入り、須磨アルプス(横尾山)の稜線の下を2つのトンネルでくぐり、奥畑に至ってトンネル(5)、(6)で伊川谷に出る・・・

当時の新聞記事には、こうありました。「須磨アルプスを前後六つのトンネルにより縦断」と。そう、ここに示したライン、そのトンネルの数は、ちょうど6つになるのです。これは、もはや偶然では、あり得ない。

この標高より下ではトンネルの数は減ってしまいます。そして無意味に標高を上げる理由は何もない・・・烏原貯水池を越える標高、神戸電鉄を越える標高、長者町の民家の標高、そして奥畑のトンネルの数が合う標高、それは、全て標高95m付近。無駄なアップダウンは要りません。そして新幹線に無駄なアップダウンは必要ないのです。

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そして、なぜ、妙法寺のこの位置でのみ、弾丸道路の工事が行われたのか・・・明石方面と違い、三木方面で建設されたのは、このわずか約200mの区間だけ。用地買収交渉は何ヶ所かあったそうですが、ここだけは、いきなり買い上げの上、築堤や、それをくぐるトンネル、そして橋脚まで一気に建設されたと言います。それはなぜなのか…地元でも謎となっていた、その問いに、今は、もう答えることができます。

それは、ここが、弾丸道路と弾丸列車の交差地点だから。

戦前、2つの大きな計画が、この妙法寺地区で進められようとしていました。1つは三木への弾丸道路。そして同時に弾丸列車の計画が…当時の関係者が考えることは何か。そう、弾丸列車建設時の障害とならないよう、交差地点の弾丸道路だけは、優先で工事しておかねばならない。道路の構造物を先に建設しておかなければ、弾丸列車建設の工事に影響が出る…と。それが用地買収だけで終わらず、この区間だけ築堤や橋脚が建設された理由・・・立体交差が予定されている時、先に上だけを作る訳には、いかないのです。

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そう、地域の状況から、神戸市内の弾丸列車建設ルートは、この位置(図11のラインと、奥畑地区は上図)であると結論することが出来ます。奥畑地区の詳細については、伊川谷以西の考察結果で、多少上下することもあり得ますが、全体として、これ以外のルートを考察するならば、平野の新神戸駅予定地から烏原貯水池を越える地点、鵯越から高取山を越える地点、須磨アルプスを前後6つのトンネルでという記述、妙法寺地区、奥畑地区の通過、これら全てを満たし、合理的に説明できるルートを他に示さねばなりません。そして、今のところ、それは難しいのではないかと考えています。

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一見、何もないと思われた神戸市内に浮かび上がった弾丸列車建設の痕跡。それは一つ一つの地区では、一見無関係とも思える小さな痕跡にすぎません。そして、もちろん、この結論が絶対であるという保証は何もありません。しかし、その痕跡を結ぶ時、大きなラインが見えてきたような気がします。ご協力頂きました神戸市内、長田区、須磨区の方々、ありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。

当時の時代背景、情景を思い浮かべながら…次回は、神戸市内の弾丸列車計画の想定ルートを、もう少し詳しく訪ねてみたいと思います。

★お知らせ★

今回の神戸市内編は、大変長文となり、建設予定地点の様子を詳細に紹介することができませんでした。次回は、第八章に行く前に、この神戸市内の予定地の様子を実際に見ていきながら、更に考察と検証を深めてみたいと思います。

★↓続きは、こちら↓★

神戸市内の弾丸列車建設ルートを訪ねて【第七章検証編】

★前回までの弾丸列車構想については、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

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