愛媛県内子町に消えた盲腸線、内子線-過去への招待-
愛媛県の県庁所在地、松山市。そこから1時間ほど西へ行った山間に、内子町という小さな町があります。現在の内子駅は、予讃線(幹線)の特急が停車する立派な高架駅となっていますが、内子駅から西へ3駅先の新谷駅までの、わずか5.3kmだけが地方交通線の内子線として残っており、幹線である予讃線に両側から挟まれる形となっています。
こちらは、大洲市から内子町への地図(全体図)です。伊予大洲駅を出た予讃線の特急は、新谷駅から内子線を通って内子駅へと向かい、そこから再び予讃線に戻って、松山方面へと走ることになります。なぜこのような細切れとなったのか・・・それには理由がありました。元々の内子線は、予讃線の五郎駅から分岐して内子駅で終点となる盲腸線。五郎駅-新谷駅を廃止して、伊予大洲方面へ予讃線の支線を建設し、五十崎(いかざき)駅から内子駅周辺も路線を変更して、新しく建設した松山方面への予讃線と接続。新たな幹線ルートの一部として、生まれ変わった・・・ここは国鉄最後の新線開通区間。1986年(昭和61年)のことでした。
※今回は、趣向を変えて1989年へタイムスリップ。経路変更となってから3年後の世界へ・・・五郎駅から新谷駅へ、そして(新)五十崎(いかざき)駅から内子駅へと、この廃線跡をたどってみたいと思います。
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