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2013年1月 6日 (日曜日)

神戸の山中に眠る弾丸列車構想-新神戸駅と謎の軍用道路-【第六章】

西宮市大谷町の序章から始まり、第五章まで調査を進めてきた戦前の高速鉄道計画、弾丸列車構想。新大阪付近から六甲山トンネルに至る計画ルートは、前回(第五章)までの調査で、ほぼ明らかとなってきました。そして、いよいよ今回からは、六甲山トンネルの西側、神戸市から明石市、そして姫路市へと、更に考察を進めていきたいと思います。しかし神戸-明石は、山間部に計画されたため地域の物証に大変乏しく、その構想ルートは完全に闇の中・・・ハードルは非常に高いと言わざるを得ません。まずは、さっそく概略図から見てみることにしましょう。

★↓図をクリックすると拡大して表示します↓★

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ということで、こちらが神戸-明石の弾丸列車構想図(図1)です。と言っても、左端の加古川バイパス(弾丸列車構想の用地を転用)を除き、ほぼ何も示されていません。神戸-明石については、当時の弾丸列車の建設予定ルートを示す情報は、ほぼ皆無・・・残念ながら完全に不明となっています。それでも、都市伝説や地域の噂としては、まったく皆無という訳ではなく少しだけ情報が。主なものを挙げてみましょう。

1、新神戸駅は兵庫区の平野(ひらの)地区が予定されていた。

2、現在の第二神明道路(の一部)は弾丸列車建設予定地だった。

3、旧神明道路(図の濃い緑のライン)は弾丸列車建設予定地だった。

4、「弾丸道路」と呼ばれる道路が、弾丸列車建設予定地だった。

このうち3番の旧神明道路というのは、神戸市と明石市を短時間で結ぶために建設された道路のこと。1941年(昭和16年)に起工式が行なわれて建設が始まりました。後に、更に改良された道路が並行(一部は重複)して建設され、そちらが現在の第二神明道路となっています。そして、正にこの旧神明道路が当時「弾丸道路」と呼ばれて建設が始まったということで、実は3番と4番は同じことを言っていることになります。

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写真は、現在の旧神明道路(神戸市側)です。神戸市須磨区の須磨離宮公園前から西へと続く道で、確かに狭い海岸沿いの国道2号線より走りやすい部分もありますが、カーブも多く、とても弾丸列車(現在の新幹線)が走れそうな線形には見えません。可能性があるとすれば、神戸側よりも明石側の方でしょうか。明石側は第二神明道路と分かれる大蔵谷付近から西明石付近まで、見事な一直線の道路(図1の濃い緑のライン(左側)の部分)となっており、確かに何らかの意図を感じさせる線形となっています。

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そして、こちらは旧神明道路を更に改良する目的で建設された第二神明道路です。こちらも丘陵地を縫うように、かなり蛇行した線形となっており、勾配も急で、とても弾丸列車用地だったとは思えません。第二神明道路も線形が緩やかとなるのは、明石市側の一部の区間だけとなっています。

こうして見ると、旧神明道路(弾丸道路)や第二神明道路が弾丸列車の建設予定地だったと安易に結論付けることはできそうにありません。弾丸道路と呼ばれた旧神明道路の建設時期が昭和16年と、弾丸列車計画とほぼ同時(しかも似た呼び方)だったことや、弾丸列車建設予定地だったという加古川バイパスと一体となって続いているのが第二神明道路であることなどから、いつしか混ざり合いながら地域の噂として残っているものと推測できます。ただ確かに、旧神明道路(弾丸道路)の明石側、大蔵谷から西明石付近まで続く一直線の区間は気になるところ・・・

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

こちらは、第二章で紹介した昭和16年8月19日の大阪毎日新聞です。当時の新聞記事で神戸-明石は、どのように書かれているのでしょうか。新神戸駅と明石方面への記述の部分を抜粋してみます。(下記は原文を元に、筆者が句読点などを一部加筆訂正。以下の記事も同様です)

・・・神戸市奥平野の夢野付近にいったん出てここに新神戸駅を造る。そこから再び鵯越から須磨アルプスを前後六つのトンネルにより縦断、奥畑、伊川谷村を抜けて明石北方から大久保北方に出て播州平野を走り、現在の山陽線に沿って土山、加古川等の北方を西に向い、別所付近から路線を南に越し姫路市に入って、現在の姫路駅、飾磨駅、広畑三者の描く三角地点の中心付近に新姫路駅を造る予定となっている。【中略】今回決定をみた高槻、姫路間95kmのうち、すでに姫路、土山間では用地買収が行われ、六甲トンネルの地質調査は十数ケ所のボーリングをはじめ、布引の滝付近からの横穴等から続々進められているが、ここに注目すべきは神戸市背山の真中に、デッカイ新神戸駅を造ろうというトンネル式新駅案で、平野付近が神戸市の西北に寄り過ぎている関係上、なんとか三宮付近に持って来たいとの市民の要望もあり、布引付近から横穴掘鑿により、地質さえ良ければトンネル内に大空洞を造り、トンネル内の神戸駅という日本で初めての新機軸を開き、神戸市とは地下鉄様の交通機関により連絡し、防空上からも完璧な駅を造ろうとするもので大阪工事事務所で研究中である。

この記事だけでも、かなり詳細に決定されているのが分かります。まず新神戸駅は奥平野(おくひらの)付近。鵯越から奥畑、伊川谷、大久保、土山、加古川と抜けていく構想となっています。また興味深いのは新神戸駅の変更案。昭和16年の時点で、すでに現在の新神戸駅付近への変更が模索されていました。そして更に興味深いのは、現在のような地上駅ではなく地下駅とするというもので、すでに地下鉄と連絡することまで考えられていたことが分かります。ちなみに現在の神戸市営地下鉄の新神戸駅開業は1985年(昭和60年)であり、これはその44年も前。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

そして約7ヶ月後、昭和17年3月5日の地元紙、神戸新聞です。「弾丸列車・新神戸駅」と大きく書かれ、平野地区から布引地区への変更が大々的に伝えられていました。

東京-下関間を9時間の超スピードで驀進する弾丸列車の神戸地方における通過路線は、六甲山麓を潜る日本一の大トンネルのコースも確定、着々用地買収を進めているが、百万市民の注目を集めている港都の停車場は、大体平野、祥福寺北側に新設する予定で計画中だったところ、大東亜戦争勃発に伴い、将来大東亜共栄圏との連絡基地となる神戸港の重要性に鑑み、神戸駅も躍進大港都に相応しい雄大なものとすべく、計画に再検討を加えた結果、神戸港との連絡に最も便利のよい布引に世界第一の防空地下停車場を建設する画期的な計画が具体化し、昨年12月以来、布引・川崎邸跡に横穴を掘鑿、慎重に地質検査を行っている。調査の結果は地質は非常によく市当局でも「この分だと世界一地下停車場実現も有望だ」と大喜びであるが、新停車場の計画は幅40間、長さ2kmという無類の巨大地下停車場で、非常の際は一度に数万人を収用出来る防空上、絶対安全地帯となるわけで、実現の暁は港都防衛に偉大な強味を増すだろう。

ここで注目すべきは、元々の新神戸駅建設予定地が、平野の「祥福寺」北側との記述。第三章で考察した当時日本一となる14kmの六甲山トンネル出口、そして元の新神戸駅の予定地を具体的に示す重要な記述です。また布引への変更にあたっては、ルートを変えて地上に出る訳ではなく、トンネル内にそのまま新神戸駅を地下駅として建設すること、そのための地質調査を川崎邸跡から横穴を掘って行なったことなどが分かります。横穴は、前の記事にも布引の滝付近からとあり、今の山陽新幹線新神戸駅の北側で、次々と調査が進められていた様子が分かります。

当時の新聞記事としては、他にも記述を発見できたものの、内容は簡潔なものばかりで、これ以上の具体的な位置を示す記述は、なかなかありません。もう1つだけ挙げておくとすれば、昭和16年8月6日の神戸新聞に「神戸地方における弾丸列車のコースは・・・【中略】地下300尺の深部を潜って妙法寺付近で頭を出し播州平野を西へ驀進・・・【中略】神戸停車場は大体平野方面に設置される予定だが、地下停車場にするか地上停車場にするかは未定である」とあり、ここに妙法寺の地名が出てくることくらいでしょうか。

★↓図をクリックすると拡大して表示します↓★

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これまでの情報を全てまとめて図に示すと、こんな感じです。右の方2ヶ所の★印が新神戸駅の建設予定地付近。あと新聞記事で挙がってきた地名の位置を示してみました。「妙法寺」は現在の市営地下鉄「妙法寺駅」周辺の部分。「奥畑」は四角で囲まれた比較的狭い範囲。「伊川谷村」は南北に細長く、範囲も広くて、黄色でぬった部分となります。「明石北方」は文字通り明石市の北方でしょうか。ちょっと漠然とした表現ですので範囲は特定できません。「大久保北方」は明石市の大久保地区の北部という意味と考えられますが、JR山陽本線の大久保駅北側から第二神明道路が走っている辺りまで考えられますので、かなり広い範囲。あとは「弾丸道路」の位置も書き加えてみました。

こうして見ると、想像通りというか当然というか、やはり図は「?」ばかり・・・通過地点の大体の傾向はつかめるものの、地名が示す範囲は広く、この区間のルートは、いくらでも推定可能。これだけの情報では、やはり建設予定地の特定は無理としか言いようがありません。。。

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それでも、何か手がかりが残っているのではないか・・・とりあえず、現地の様子を見てみることにします。まず最初に訪れたのは、元々の新神戸駅予定地だったという「平野」の「祥福寺」から。禅宗のお寺ですので、境内の一部を開放しているのみで、修行中は立入りできません。当時の新聞によると、この寺の北側ということでしたが・・・

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山・・・です。北側には山がせまっていました。

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自由に参拝できる、となりの五宮神社から見ると、こんな感じ。左に見えているのが祥福寺です。背後は急斜面の山となっており、とても駅を建設できそうなスペースはありません。これは一体、どういう訳なのでしょうか。

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こちらは、近くで見つけた案内図です。祥福寺の周辺には大きく山地がせまっている様子が分かります。そして、問題がもう1つ。左に見えている池のようなもの。これは烏原貯水池です。この烏原貯水池は南北に長く、祥福寺から西へ向かうルートを完全に遮るような形となっています。貯水池には当然、水がたまっているわけですが・・・

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その烏原貯水池がこちら。烏原貯水池はダム湖となっていました。立ヶ畑ダムと呼ばれる大変歴史の古いダムです。完成は1905年(明治38年)で、日本でも最古級の古さ。そして、このダムは重力式アーチダムとなっており、その方式としては日本最古となっています。

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ダムの周囲は、当然深い谷と山となっており、散策していても、とてもこの近くに弾丸列車(新幹線)の建設計画があったような気配を感じることはできません。

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そして、こちらは現在の新神戸駅北側の布引の滝です。当時の新聞記事には、布引の滝や川崎邸跡横などから横穴を掘って地質調査を行なったとありますが、その横穴の具体的な場所が分かったとしても、そもそも地下駅とする構想であり、地上から弾丸列車の計画ルートを知ることは困難と言えます。

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そして次に、当時の新聞記事に示された地名を西へと順に見ていくことにしてみます。まずこちらは妙法寺。地下鉄妙法寺駅近くの高台から南を見ています。目の前に見える山は高取山。妙法寺とは、この地区に古くから実在する寺の名前ですが、地名としての妙法寺は、高取山の西側から北側へと広がる地域で、変わった字(あざ)地名もたくさん残っています。

★高取山と妙法寺の字地名については、こちらもどうぞ★

高取山の一周散歩-神戸の不思議な地名群-

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そして、こちらは「奥畑」(おくはた)です。奥畑とは江戸時代まで存在していた小さな村の名前で、今でも奥畑大歳神社を中心とした集落の名前となっています。周囲の山は神戸市が昭和40年代から須磨ニュータウンとして大規模に開発、造成を行った地域で、農家が残る小さな谷筋の上にマンションや住宅地が広がるという独特の光景。

★奥畑地区と奥畑大歳神社の秋祭りは、こちらをどうぞ★

神戸市垂水区、奥畑大歳神社伝統の秋祭り-宵宮から本宮まで-

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次に、こちらは「明石北方」・・・伊川谷や明石北方という表現は、非常に大きな範囲を指しており、漠然とした印象です。上の地図は、明石北方から玉津地区、そして野々池貯水池を散策したときに見かけたもの。新幹線の上を東西に走っている道が旧神明道路、いわゆる「弾丸道路」です。この付近が一直線となっている場所で、すぐ上に野々池貯水池が見えています。

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野々池貯水池は明石市の水源として利用されている大きな貯水池で、周囲は河岸段丘による高台となっており、昔から灌漑用水として利用されてきました。東側は河岸段丘による40mほどの斜面となっており、この池を無視して弾丸列車を通過させることは現実的ではありません。

★野々池貯水池と周辺の模様については、こちらもどうぞ★

明石の水がめ「野々池」と周辺散歩-王塚古墳から林崎疎水へ-

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そして大久保北方です。大久保周辺も北へ行くほど丘陵地となっており、ため池と農地、そして住宅街が点在する光景となっていました。大久保と呼ばれる地域は、かなり広大な範囲であり、やはり、ここも弾丸列車の構想ルートを特定することはできそうにありません。。。

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写真は「明石北方」から神戸方面を望んだところ。こうして見ていくと、弾丸列車の新神戸駅から明石方面は完全に闇の中・・・迷宮と言っても過言ではなく、もはや推定すら不可能のよう。。。

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しかし2012年の夏、この地区で、あるひとつの情報を頂くことができました。その場所は、須磨区妙法寺。ここは妙法寺駅すぐ東側の蓮池交差点です。板宿方面(南方向)へ抜ける道が最近完成し、大変便利になりました。しかし数年前まで、ここ(道路が完成した部分)には築堤状の盛り土があり、橋脚のようなものまで残っていたとのこと・・・

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その盛り土を地元の方が覚えていて下さいました。

その施設は「弾丸道路」・・・

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昭和40年代、当時の写真です。(※許可を得て掲載。一部加工しています) 築堤の上は地元の人の遊び場、そしてラジオ体操、盆踊りの広場として利用されていました。この当時の写真の位置は、前の写真と同一地点。(ただし、現在は築堤を崩して道路としているため、高さは違っています)

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そして昭和30年代の同地点。前方には高取山が見えています。注目は、この写真の右下。見えにくいですが、ここにコンクリート状の壁のようなものが。これが、築堤から続いていた橋脚の一部。この弾丸道路は戦前に計画され、戦時中、この地区に建設されたといいます。その後、長らく放置され、つい数年前に取り壊されるまで残っていました。

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現在の様子はこんな感じ。橋脚も崩されて、平坦な道路となっていました。この道路は神戸と三木の軍事施設を短絡する目的のために計画されたもの。最初に見た神戸と明石を短絡する目的だった弾丸道路(旧神明道路)と合わせて、放射道路とも呼ばれた・・・弾丸道路は実は旧神明道路だけではなかったのです。

しかし、これは当時「弾丸道路」と呼ばれた軍用道路の建設の話・・・妙法寺の築堤跡も、神戸市街地と三木市を結ぶように南北方向に建設されており、東西方向を目指していた弾丸列車との関係を見出すことはできません。放射道路の話から見ても、妙法寺地区に放置されていたのは三木市への弾丸道路建設の跡とみて間違いなさそうです。「布引の滝」、「平野の祥福寺」、障害となりそうな「烏原貯水池」、「妙法寺の弾丸道路」、そして「奥畑」・・・神戸市側の情報は、これで全て・・・結局、どこの場所にも弾丸列車の計画を示すような痕跡は。。。

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!?

そうか、もし、そうだったとしたら・・・

これらの地点に共通する、ある一つの可能性が浮かび上がる。。。その事実が、ある一つの方向を指しているとすれば・・・そこに弾丸列車建設構想のルートが浮かび上がってくるのではないか・・・

ある一つの可能性を確認するべく、2012年夏から冬、地域の方への聞き込み調査を敢行しました。果たして、その結果は・・・次回、第七章へと続きます。

★第七章は、こちらをどうぞ★

ラインが結ぶ弾丸列車構想-神戸・明石建設の謎-【第七章】

★お知らせとお悔やみ★

当ブログに連続で掲載して参りました、兵庫県東部、尼崎市から西宮市、芦屋市への弾丸列車構想が、ある冊子の中で紹介される見込みとなりました。ご縁を頂いた方に、改めて御礼申し上げます。詳細はまた当ブログ上で発表したいと思います。そして、今回から次回につながる現地調査の中で、大変多くの情報を頂き、ご協力を頂いた方が、年末に他界されました・・・ご協力に感謝申し上げ、そしてこの場を借りましてお悔やみ申し上げます。本当にありがとうございました。計画からすでに70年・・・時間の壁を感じる、今日この頃です・・・

★前回までの弾丸列車構想については、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

阪神間の弾丸列車構想ルート完結編-そして舞台は神戸市へ-【第五章】

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コメント

 神戸市在住の38歳男です。私も13年ほど前から、近代遺産のようなものに興味を持ちまして、夜中に一気読みさせてもらいました。
 かつて尼崎の近松公園辺りで勤務していたこともあり、本当に興味深く拝見させて頂きました。妙法寺の「壁」も懐かしい風景を思い出させて頂きました。
 続編、本当に期待させて頂きます!pm2.5のような厄介な粉塵も飛んでいます・・。お体に気を付けて取材なさってください。

りきさん、こんばんは。

弾丸列車の記事に興味を持って頂きまして、ありがとうございます★神戸市内は、旧居留地や六甲山上の施設、神戸水道に湊川隧道と、近代化遺産が多いですね。近代化の歴史を思い浮かべながら訪ね歩くと面白いかも知れません。
そうした中で、新幹線というのは、戦後の復興、高度成長を象徴するような存在であり、世界的にも有名な高速鉄道だけに、その母体の建設計画となった弾丸列車構想のルートが、特に新大阪以西で不明瞭となっているのには、正直驚きを感じました。残念ながら、神戸市から明石市につきましては不明なことが多く、また個人の調査ゆえ、おぼろげな内容もあるかとは思いますが、第七章は、それほど遠くない時期に公開できると思います。妙法寺の築堤も再び登場予定です。もうしばらくお待ち下さい。ありがとうございました☆

 こんばんは。第7章、心待ちにしております!
そういえば、私が小さい頃、自宅の近くにあった「北須磨文化センター」に、妙法寺の「壁」が、「放射状道路」の橋脚の1つであったという、パネル展示をしていた記憶があります。
 なにぶんそのころは、併設のプールに通う子供でしたので、確かな文章の内容などははっきりとは覚えていませんが、妙法寺の祖父の家から名谷の自宅に帰る車窓から見える壁が
そういうものだったのか・・という興味から記憶に残っていました。
 10年ほど前に亡くなった祖父もまた、自身が少年飛行兵だったからか、こういう軍需ものが好きで、その存在も、目的も知っていたようです。
 本日も過去のいろいろな記事を見せて頂き、現在の勤務地の北区、以前の中央区の記事を読み、本当に緻密な調査、頭が下がります。
 今後ともよろしくお願いします!

りきさん、こんばんは。

北須磨文化センターで、パネル展があったんですね。最近、名谷駅前のパティオホールでパネル展がありましたが、放射状道路のことは詳しく掲載されていませんでした。「須磨ニュータウン物語」という本には、この壁の写真と簡単な説明が載っているようですね。私も祖父が海軍でした。妙法寺の方から、この道路建設の跡と橋脚の話をお聞きしたので、実は意外とご近所だったのかも知れません^^ なお、掲載の当時の写真は、横尾の方から頂きました。本当に、たくさんの方からのご協力で、この記事につながっています。ご縁に感謝したいと思います^^
弾丸列車の記事は、今後の調査次第にはなりますが、神戸市内の後は、先に加古川市から姫路市に入り、最後に明石市周辺となる予定で考えています。よろしくお願い致します☆

こんばんは
山麓バイパスのトンネルと天王谷のICは何か関係あるのですかね?

二重丸さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
完全には調べ切れませんでしたが、山麓バイパス付近と、新幹線(弾丸列車)計画の関連を示すものは、見つけることができませんでした。ただ少し北側へ建設する「ウワサ」は確認しましたので、もしかしたら、その関連で山麓バイパス付近も予定があった可能性は残るかも知れませんが・・・。次回の完結編で、神戸付近の詳細な内容を掲載する予定です。参考に頂ければと思います。もうしばらくお待ち下さい^^

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