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2012年6月 5日 (火曜日)

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

現在、時速270km~300km運転を誇る東海道・山陽新幹線。これは戦前にすでに計画されていた弾丸列車(※)構想が母体となっています。東京-新大阪は、この構想の多くが生かされて、戦後、東海道新幹線となりましたが、新大阪以西は(土地返還要求などもあり)いったん計画を破棄。結局、白紙の状態から新たに山陽新幹線を建設することになりました。

※弾丸列車という呼び方は、当時のマスコミのもので、鉄道省(後の国鉄)内では最初から新幹線と呼ばれていました。現在の新幹線と区別するため、この記事内では戦前の計画については弾丸列車の表記を用いていきます。

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写真は、兵庫県の明石-姫路をつなぐ加古川バイパスです。神戸側の第二神明道路、そして姫路側の姫路バイパスと一体となっており、ここは兵庫県南部の大動脈。実は、この加古川バイパスは戦前の弾丸列車構想の用地を再利用したものであり、そのため直線区間が大変長い道路となっています。

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直線区間は第二神明道路明石西料金所付近から、加古川を渡った先まで実に8km以上。北海道には29.2kmという直線国道区間がありますが、北海道を例外とすれば、無料の一般道路で、この直線距離は日本最長クラスと言って間違いありません。しかし、これも新幹線の建設予定地だったと考えれは納得です。信号もない快適な道路。飛ばし過ぎ、居眠りには要注意。

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そして、加古川の先にある加古川バイパス唯一のカーブ部分は、こんな感じ。神戸方面を見ています。弾丸列車構想では、時速200km運転までは想定されていなかったようですが、将来を見据えてか半径は2,500m以上と、大変ゆるいカーブで計画されました。したがって道路のカーブも大変緩いものとなっています。これは、弾丸列車構想を引き継いで開通した東海道新幹線と同じ規格。歴史が違えば、ここに山陽新幹線が走っていたかも知れなかった訳ですね。。。

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そして一気に大阪に移って、こちらはJR東淀川駅です。新大阪駅の1つ京都寄り、普通電車しか停まらない小さな駅です。

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しかし特筆すべきは、新大阪駅との距離の近さです。写真は東淀川駅から見た新大阪駅。ホームが、はっきりと見えていました。ホームに立つ人々の姿まで分かります。

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こちらは駅の案内図。左端が新大阪駅。その近さが分かります。両駅間の営業キロは、わずか0.7km。つまり700mしかありません。これはJRの駅間距離としては、大変短い部類に入ります。

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東淀川駅の開業は1940年(昭和15年)。これは戦前の弾丸列車構想が具体化してきた時期と重なります。東淀川駅開業は、弾丸列車開業を見据えたもので、この駅が新大阪駅となる予定だったと言われています。しかし後に計画は北方貨物線沿いに変更。そこに新大阪駅が建設されたため、東淀川駅は、至近距離で残る形となってしまいました。

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東淀川駅近くから地下鉄御堂筋線の東三国駅方向へと、まっすぐに伸びる道路。新大阪駅が当初の計画通りに建設されたとすれば、一体ここからどこを通って西を目指す計画だったのでしょうか。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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こちらは、大阪以西の弾丸列車計画ルートを示した図です。はっきりしている加古川バイパスとは異なり、なぜか色々なルートが指摘されていて、はっきりしません。主なものは、現在の新幹線ルートに近い北方通過ルート(1)、阪急神戸線とJR東海道本線の中間付近を一直線に貫いていく中間直進ルート(2)、そして途中まで中間直進ルートとほぼ同一ながら、現在の山手幹線道路付近を西進する山手幹線ルート(3)です。北方通過ルート(1)と中間直進ルート(2)は、いずれも芦屋市付近から六甲山に入るとされており、この点では共通しているようです。図でははっきりとした赤線で表示したものの、これらはあくまでもイメージであり、具体的な通過位置を示すものではありません。

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こちらは、西宮市付近を走る山手幹線道路です。一直線の道路となっています。それらしいと思えば、それらしくも見えますし、何とも言えません。弾丸列車構想があったのは、もう70年以上前。結局、大阪-神戸では、ほとんど用地買収は進んでいなかったとも言われており、戦前の計画を知ろうとしても無理なような気がします。

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さらに西に来て、こちらは芦屋市のモンテメールです。モンテメールは百貨店の大丸などが入っており、JR芦屋駅に併設されている商業施設。1979年(昭和54年)に竣工しました。

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右側がモンテメールです。実は、このモンテメールは戦前の弾丸列車用地を利用して建設された、という噂があります。これは山手幹線ルート(3)の説になりますね。

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そして、また西宮市に戻って、阪急西宮北口駅付近です。この付近を通過して、芦屋市から六甲山に入る予定だったと言われています。これは中間直進ルート(2)ですね。他にも、大阪の服部付近を通過する予定だったというのもあり、これは北方通過ルート(1)を示唆しています。こうして見ていくと、弾丸列車構想が実際にどのルートで決定されていたのか、その特定は困難であると言わざるを得ません。ここまでの写真は、夜間のものを使用して来ましたが、本当に闇の中に消えているような気さえしてきました。

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※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項に該当。

しかし、まったく不明という訳でもありません。こちらは、阪急夙川駅北側の地図です。分かりやすいように標高10m毎に色を付けてみました。赤色が標高40m~50m、水色が標高50m~60mを示しています。こうしてみると、北方通過ルート(1)と中間直進ルート(2)でトンネル入口予定地と言われている芦屋市が東に斜面を向けているのは、黒丸で囲んだ、わずかな部分しかないことが分かります。これより北では、西宮市からトンネルに入ってしまいますし、そしてAとBの2ヶ所、四角で囲んだ標高の高い領域も邪魔をしています。特に北方通過ルート(1)では右上から来る形となりますので、完全にBの部分に当たってしまいます。当たってもいいのでは、と思われるかも知れませんが、実はここは墓地なのです。満池谷墓地と呼ばれる、西宮市の墓地です。明治末期に建設された大規模な墓地であり、弾丸列車構想時にはすでに、この地にあったことになります。わざわざ墓地を貫通させなくても、もっと北側からトンネルに入ればいいだけですし、そこまでして芦屋市にこだわる理由がありません。地形的には黒の実線に挟まれた範囲のルートのみ、自然に芦屋市に達することになります。つまり、夙川北側の地形と墓地の関係を見る限り、北方通過ルート(1)は否定され、中間直進ルート(2)を支持していることになります。

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そして、再び場所を移して、こちらは阪急宝塚線の鉄橋です。下は国道176号線、ここは大阪府豊中市、阪急庄内駅の南側となります。実は、ここも弾丸列車通過地点という情報を得ることが出来ました。ここは山手幹線ルート(3)よりも、かなり北側です。そして阪急庄内駅の開業は1951年(昭和26年)。弾丸列車構想の時にはなかった駅であり、その北側の駅が服部駅(1910年(明治43年)開業)であることを考えると、別の情報にあった服部付近通過とは、ここのことではないかとも思われます。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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ここまでの結果をまとめると、こんな感じ。庄内駅南側通過というのは、北方通過ルート(1)一番自然です。しかし、このルートは、先述の通り西側で満池谷墓地と地形に阻まれています。といって中間直進ルート(2)かと思うと、庄内駅南側から、まっすぐ西へ向かった場所にも、実は広大な尼崎市の弥生ヶ丘霊園があるのです。これはもう、ますます訳が分からなくなってきました。都市伝説と化している様々な情報では、やはり限界なのでしょうか。特に尼崎市内は、西宮市や芦屋市のような丘陵地もなく、地形は平坦。逆に言えば、どこにでもルートが引けてしまいます。

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写真は、尼崎市の弥生ヶ丘霊園です。ここからは、もう六甲山ははるか向こう・・・向こうの山だから武庫の山。武庫の山だから六甲(むこう→ろっこう)山。となったのが本当かどうかはさておき、この霊園や西宮市の満池谷墓地は、戦前の弾丸列車構想の話を知っているのでしょうか。。。尼崎市の地図を見ながら、たたずみます。平坦な尼崎市・・・

尼崎と言えば、近松門左衛門。。。いえ、弾丸列車とは何の関係も・・・・・・

え??

そうか、と思いました。情報ばかり追い求めていて、見落としていたものがあったのです。そして、全ての情報はその方向へと集まっていました。

★引き続き第二章へ。続きの記事は、こちらをどうぞ★

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

★前回の序章は、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線【序章】

★廃墟・廃線跡関連は、こちらもどうぞ★

旧国鉄五新線(阪本線)を訪ねて【第一部】

六甲山に眠るロープウェイ駅の廃墟-幻の六甲登山ロープウェイ-

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コメント

いそしずさん、こんばんは。

いつもにも増してすばらしい調査、感服致します。
加古川バイパスの直線の云われは初めて聞きました。
直線が長いなあとはいつも思っていましたし、改めて地図を見ても確かに長いですね。
昨年くらいから東播磨道という接続道路の工事をやっていてジャンクション部分がカーブになってしまったので残念と思っていましたら、工事中だけだったようで元の直線に戻りました。
直線は直線ですが、UPDOWNはあるようですね。走っていても分かりますが、西へ向かって走っているとその延長線上に「高御位山」という兵庫100名山が見えますが、その頂上から見ると上下にうねっているのがすごく分かります。
あのまま新幹線…でなく弾丸列車が走るとジャンプしてしまいそうです・笑。
自動車道路ではUPDOWNは問題ではなかったのかもしれません~。

いそしず様

初めまして。
少し前から、時々拝見させて頂いてます^^
元々、臨港線についての記事を検索で見つけてお邪魔させていただいたのがきっかけだったのですが、興味深い記事がたくさん、それも緻密な実地調査に基づく分析や美しい画像なども満載で、本当にワクワクしながら読ませていただいています。

私は元々神戸市東部で生まれ育ち、結婚後は加古川に住んでいます。
なので!初めて知った加古川バイパスのいわれは衝撃的でした^^毎週のように通っているのにそんなことはつゆ知らず…しかし、たしかにあの勾配を伴う直線は滑走路のようでもあり、魅力的ながらも不思議ではありました。
何年か前、加古川の多木鉄道と高砂線の廃線跡を自転車で巡った私としては(周囲からは非常な物好き扱いをされましたが)、これは放っておけない事実といいますか。何だかロマンを感じる事実です。
また序章(これまた意味深ですね!)の貨物線跡も、10年ぐらい前から毎日通勤で前を通る度に気になって気になって仕方なかったので、この記事にも大変興奮(?)致しました。

第二章、楽しみにしております♪

追伸:六甲の麓が故郷の私ですゆえ、六甲山シリーズも大のお気に入りです^^

ちゅたさん、こんばんは。

ありがとうございます。加古川バイパスが、弾丸列車用に確保された土地を再利用して建設された、というのは以前に聞いたことがあり、それを追いかける形で、今回の記事につながりました。加古川バイパスは一直線ですが、アップダウンが激しいので、そのまま新幹線にしてしまったら、確かに宙に浮いてしまいそうですね(汗)。土地だけの再利用(バイパスは4車線なので足りない分は拡幅)ですので、当然新幹線として実現していたら平坦な高架線になっていたのでしょうが、道路用として盛土する時に起伏だらけにしたのは、直線道路の中に、少しでも変化を付けるための苦肉の策だったのでしょうか。それにしても、途中のジャンクション建設で直線区間が短くならずに済んだのは、歴史を残す意味でも良かったと思います。
大阪より西は、破棄されてしまった計画とはいえ、こんなにも不明な点が多いというのは正直驚きでした。実地を混ぜながらの記事ですので、時間がかかりますが、何とかギリギリまで迫っていきたいと思います。次回以降も、よろしくお願い致します^^

window様

初めまして。ご訪問、ありがとうございます^^
加古川の高砂線と多木鉄道ですか。多木鉄道というのは、別名、別府(べふ)鉄道のことですね。当ブログを始める前になりますが、JR土山駅から遊歩道を、私も歩いたことがあるんですよ^^。全国に散らばる廃線跡は、跡地が遊歩道などになっている場所が多いので、サイクリングを楽しむには最高ですね。私などは10代の時には、雑草に埋もれた廃線跡を歩いては、真っ暗なトンネルに突入したりしていましたので、物好きを通り越して、もはや理解不能の変人と思われていたかも知れません(笑)。鉄道は日本近代化の歴史となる生き証人ですし、それを訪問することは歴史をたどるロマンと何も変わらないと思います。高砂線と別府鉄道については、また当ブログ内でも取り上げたいと思っています。
弾丸列車構想につきましては、思ったより奥が深く・・・というより深い闇のヴェールに包まれているような感じで、私自身も、このように続くとは考えていませんでした。なにぶん個人での調査ゆえ、至らぬ所や思い込み、果ては信用性に乏しい部分もあるかとは思いますが、実地ならではの強みと視点で、ギリギリまで切り込んでみたいと思います。楽しみにして頂いて恐縮でございます。次回で阪神間については大詰めです。調査を急いでいますので、もう少しだけお待ち下さい。
って、調査中やのに「よみがえる」なんて大げさな予告タイトル付けたんかい(爆)
今後とも、よろしくお願い致します(笑)

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