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2012年6月11日 (月曜日)

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

戦前に計画された弾丸列車構想。東海道区間は、戦後、その多くが東海道新幹線となって結実しましたが、山陽区間は戦後の土地返還要求などもあり、いったん構想を破棄。新たに白紙の状態から山陽新幹線が建設されたため、用地買収が進んでいた一部の区間を除いて、構想の詳細は歴史の闇に消えようとしています。特に大阪-神戸は、いくつもの噂が都市伝説のように伝えられており、その実態は闇のヴェールに包まれていました。薄れゆく弾丸列車構想の真実を目指して。第一章からの続きです。

★第一章の記事は、こちらをどうぞ★

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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こちらは第一章で紹介した、大阪以西の弾丸列車構想諸説です。これは噂だけに留まらず、様々な著者から、これらの構想ルートが紹介され出版されています。例えば、川島令三氏は「山陽・九州新幹線ライン」の中で1番のルートを挙げておられますし、森口誠之氏は「鉄道未成線を歩く-国鉄編-」の中で2番に近いルートを紹介しておられます。川島氏も森口氏も、芦屋市の岩ヶ平(いわがひら)付近を六甲山へのトンネル入口としている点では共通していますが、あとは森口氏が、西宮市の平木中学校付近を具体例として挙げている他は、建設予定地についての具体的な記述はありません。3番の山手幹線沿いについては、噂ばかりで著作物は少なく、唯一芦屋ロータリークラブ発行の「芦屋ロータリークラブ50周年記念誌」の中に、簡単な紹介を確認することが出来ました。

このような状況では、まずルートを1つに絞らなければ話になりません。そこで今回は、まず当時の新聞記事から見てみることにしましょう。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

こちらは、昭和16年8月19日の大阪毎日新聞です。当時の新聞記事を探すと、なんと神戸大学で新聞記事文庫というものが公開されており、わずかながらも弾丸列車に関する情報を発見することができました。当時の新聞記事は、大変貴重で重要な資料。見出しから「快適、踏切は1ヶ所もなし」「高槻-姫路間決る」など、高速鉄道に対する当時の高揚が伝わってくるようです。この記事の中で、大阪-神戸についてふれている部分を抜粋してみましょう。(下記は原文を元に、筆者が句読点などを一部加筆訂正。以下の記事も同様です)

京都から南下して来た新幹線は・・・【中略】現在線の東淀川駅で東海道線を西に渡り、同区三国町を通過、ここに延長約2.5kmの長い構内を持つ新大阪駅が出現し、この新大阪駅を出れば、直ちに阪急宝塚線及び神戸線を横断して、阪急神戸線の南方を西に向かい、夙川方面で再び神戸線を北に抜け、広田神社前の西方、越木岩から六甲山に入り、長さ14kmという日本一の大トンネルを穿って岡本、本山、西灘、布引の背山を潜り、神戸市奥平野の夢野付近にいったん出てここに新神戸駅を造る。

当時の書き方か、切れ目のない長い文章です。阪急宝塚線と神戸線を横断して、神戸線の南方を西へ、そして越木岩からトンネルに。。。この記事からは、弾丸列車計画のルートが中間直進ルート(2)に近いものであったことがはっきりと示されていました。記事は、更に続いています。

【中略】高槻から六甲山トンネルに入るまでは、全部盛土式高架線で踏切は1ヶ所もなく、道路は全部その下に横断トンネルをつくり、道路や線路を越す所では、二階あるいは三階の、ものすごく高い高架で横切ることとなる。たとえば大阪池田の産業道路の上を阪急宝塚線が高架で横断しているが、さらにその上を跨ぐわけである。

「大阪池田の産業道路」とは、現在の国道176号線。阪急宝塚線との交差部は、阪急庄内駅南側となります。つまり前回、第一章で訪ねた庄内駅南側の地点は、弾丸列車計画予定地で間違いないことが、当時の新聞記事からも裏付けられた訳です。弾丸列車の記事は、他社の新聞にもいくつか見つけることが出来ましたが、他社も全て中間直進ルートでの紹介。そして重要な新聞記事がもう一つありました。

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出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

それは昭和17年6月2日の報知新聞。こちらにも当時の弾丸列車のことが書かれていました。

かくて京都に現れた列車は、一直線に大阪に南下するが、ここでは淀川渡河を避けて、大阪駅には立寄らず、現在省線東淀川駅に新大阪駅を建設して、そこから阪急宝塚線服部に抜けようとする案で、結局注目の新大阪駅は現在の東淀川駅に決定をみているわけである。服部から現在の省線、阪急神戸線の中間を渡って西宮北口で阪急線とクロスし、北上して六甲山中に入り、このトンネルを潜って神戸に現れ、それから山陽線に沿って下関に至ろうという訳であるが、この六甲トンネルは日本一丹那トンネルの二倍強、全長14kmに及び世界で第3番の長トンネルとして誕生する。

この新聞記事では、決定ルートは中間直進ルート(2)であること、そして阪急神戸線と弾丸列車のクロスポイントは西宮北口であることが示されていました。当時日本一のトンネルを六甲山に掘り抜く記述は、前の大阪毎日新聞と同一であり、トンネルの全長は14kmを予定していたことが分かります。

これらの新聞記事から、ルートは中間直進ルート(2)で疑いのないこと、通過予定地点は、阪急宝塚線庄内駅南側、そして阪急神戸線西宮北口駅であること、越木岩から全長14kmの当時日本最長のトンネルに入ること、という計画の一部が明らかとなりました。しかし、それ以上の具体的な通過位置を示す記述は、もう見つかりません。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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当時の新聞記事から判明したことをまとめると、こんな感じです。中間直進ルート(2)に決まり、そして2ヶ所の通過地点(★印部分)を確定できたものの、図は「?」だらけになってしまいました。これは、もう資料だけでは、まるで条件の足りない方程式のようなもので、詳細は決定できない事を意味しています。噂から始まって、出版されている著作物、そして当時の新聞記事までたどりましたが・・・いくら調べても確定はできない・・・弾丸列車構想の調査は、これが限界です。。。

いえ違います。これで終わりのはずがありません。まだあります。

そう、第一章の終わりに尼崎市内で感じたこと・・・見落としていたことが。尼崎市と言えば近松門左衛門。。。このことが、弾丸列車構想という解けない方程式に、解を与えてくれるのでしょうか。ここで、再び舞台は尼崎市に戻ることになります。

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ということで、尼崎市にある近松公園にやってきました。ここは弥生ヶ丘霊園から、西に行ったところ。公園の休憩場所には何やら人だかりが。実は囲碁や将棋を楽しんでいる皆さんです。公園のあちこちで、たくさんの方が対戦されていました。私も投了する訳にはいきません。

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写真は、近松の里の案内図です。近松門左衛門は、江戸時代に活躍された人形浄瑠璃、歌舞伎の作者。特に尼崎市の広済寺とは関係が深く、今でも近松門左衛門の菩提寺となっています。近松公園の周辺は、近松の里と呼ばれ、この広済寺を始めとして、たくさんの神社などがあり、歴史散策には最高の場所。

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主なものだけでも、こんな感じ。これは歴史があって面白そうですね。それでは、尼崎市の歴史探索に出発です。

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まずは、地図の14番、近松公園の東にある伊居太神社(いこたじんじゃ)です。ここは伊居太古墳という尼崎市内でも最大の前方後円墳で、その古墳の上には神社が設けられ、この地の氏族祖神を奉り・・・・・・って、ちょっと待って下さい。この記事は、戦前の弾丸列車計画の話だったのでは!?尼崎の歴史探索と鉄道の話に何の関係が。。。?

そう、そうなんです。見落としていたのは。

尼崎市の弥生ヶ丘霊園に足を運んだ時、すぐに、この歴史地区のことが頭に浮かびました。近松公園とその周辺に広がる神社。近松門左衛門の菩提寺を始めとして、どれも由緒正しい歴史ある神社です。戦前の弾丸列車計画が、当時の新聞記事通り、中間直進ルート(2)であるならば、これだけ神社の多いこの地区の、一体どこを通すつもりだったと言うのでしょうか。現代ですら、地区の守り神である神社を、道路建設のためと言って取り壊すことなど簡単に出来るものではありません。寺院などは最悪の場合は、調整のうえ移転などは考えられなくもないですが、それも文化財級の建築物ならば困難が伴います。ましてや弾丸列車計画時は戦前なのです。

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この地区の地図は、こちら。分かりやすいように東西方向を67%に縮めて表示しています。下の赤いラインが山手幹線。上を行くのが阪急神戸線です。弾丸列車は、少なくとも、この両線の間に建設されなけれはなりません。1番は昭和17年に完成した利昌工業の工場。他にも当時、すでに存在していた工場は紫色で示してみました。2番は近松公園周辺の神社で、左から久々知須佐男(くくちすさのお)神社、伊佐具神社、伊居太神社になります。3番は阪急園田駅と、当時の新興住宅地。阪急園田駅は昭和11年に田園地帯に開業し、阪急は自社の手で周辺の住宅開発を進めていました。4番は白井神社、そして5番が弥生ヶ丘霊園です。6番は現在の百合学院(幼稚園・小学校・中学校・高等学校)と聖トマス大学がある場所ですが、当時は陸軍の衛生材料庫でした。あと黄色で、おおまかに当時の住宅密集地を示してみました。

こうして見ると、やはり弾丸列車を通す余地は、ほとんど、というより全くなさそう。。。工場地帯に出来たばかりの新興住宅、そして立ち並ぶ歴史ある神社・・・果ては陸軍の敷地まで。果たして、どこを通したらいいのでしょうか。

そういうつもりで、じっと見ていると。。。ほら、何か見えて来ませんか?

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それは一筋のライン(緑色)でした。阪急園田駅の新興住宅地の南端を通り、弥生ヶ丘霊園の北端を通過、陸軍の材料庫を抜け、伊居太神社の北側を抜けて、利昌工業の北端を抜ける一本の直線です。これより南では、弥生ヶ丘霊園と工場を貫くことになり、これより北では阪急の新興住宅地を貫いた上、塚口周辺の古い住宅密集地にも突入することになります。

それは、「いそしず」の勝手な妄想ではないか。神社はともかく、新興住宅地などは、いくら新築であったとしても、国家の事業となれば立ち退きさせることが出来るものだし、それは古い住宅密集地だって同じだ。必要なら、工場だって移転してもらえばいい。だいたい陸軍の敷地は通過させてるではないか。

確かにそういう意見もあるかと思います。例えば弥生ヶ丘霊園の南側へまわるルート(水色)であれば、陸軍の敷地は回避できそうです。確かにこの可能性もあります。ただ、ここで考慮しなくてはならないことは、ここは陸軍の基地ではなく衛生材料庫だったということ、そして弾丸列車計画は下関を越えて、北京、果てはヨーロッパを目的地としており、当時は軍事目的の要素も大変強かったということです。国としては用地買収の必要もありません。具体的にどちらのラインかは、大阪側からの考証にまわしたいと思いますが、ただ、どちらにしても、重要なことはそこではないのです。

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再び場所を移して、上の写真は武庫川からの尼崎市内の眺めです。西から近松の里方向を望んでいることになります。そう、ここは近松の里で引いた直線(陸軍用地を考慮するならカーブの先)の西の延長線上・・・見渡す限りの住宅密集地と化しており、この風景からは何も語ってくれそうにありません。

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しかし振り返ると、武庫川の流れが、やさしく私を迎えてくれました。正面に見えるはずの六甲山は、今日はぼんやりと霞んで。。。

「!?」

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あのマンションは。。。

そう、あれは1ヶ月前、「序章」の時に見た風景・・・

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芦屋市の岩園変電所から西宮市内へと一直線に伸びる送電線。それは、まぎれもなく、あの時送電線の先に見た、あのマンションでした。近松の里で気付いた一本の直線。その先は、芦屋市から伸びる送電線の延長線でもありました。そして、この送電線の走っている場所が。。。

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そう、越木岩なのです。写真は、送電線下にあった地区の掲示板。

そして、あのマンションは。。。。

★↓画像をクリックすると拡大表示します↓★

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阪急西宮北口駅に隣接するマンション付き複合商業施設「アクタ西宮」だったのです。

当時の新聞記事・・・阪急神戸線の南方を西へ向かい、西宮北口を通って、越木岩からトンネルへ。。。これはもう大変なことになってきました。

★図をクリックすると、拡大表示します★

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※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの1枚に該当。

これまでの結果をまとめると、こんな感じ。阪急宝塚線と国道176号線の交差地点付近から、近松の里で推定したライン(候補は2本)を通り、一直線に西宮北口へ。そして、そのまま越木岩の送電線部分に達して、六甲山に至る。。。遂に、全体の概要が明らかになってきました。長い間、闇のヴェールに包まれていた弾丸列車構想。その概要が、今ここに、確かによみがえってきたのです。

それは曲線をなるべく避け、直線的に目的地に達するという、意欲的な高速鉄道ルートでした。そして、当時の技術の全てを注ぐ、日本最長の六甲山トンネル。その計画には、熱意とも言える日本近代化、そして最先端技術への挑戦という、当時の情熱に満ちた精神を感じることが出来ました。もちろん、線はまだつながったばかり。今回の考察では、まだ新大阪駅もはっきりとしていません。70年以上前の未完の計画。個人では限界もあり、結論はおぼつかない部分もあるとは思いますが、この考察により、少しでも概要に近付けたらと思います。次回は、これらの問題点を少しずつつぶしながら、当時日本最長となるはずだった六甲山のトンネルへ。そこにはトンネル建設に伴う、意外な計画が隠されていました。そして、序章の謎も遂に明らかに・・・

★引き続き第三章へ。続きは、こちらをどうぞ★

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

★弾丸列車構想、前回の記事はこちらをどうぞ★

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

★廃墟・廃線跡関連は、こちらもどうぞ★

旧国鉄五新線(阪本線)を訪ねて【第一部】-

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コメント

いそしず様

すごーい!!すごいです、いそしずさん!
今回も毛穴が開きっぱなしになりそうなぐらい興奮して拝読させて頂きました☆
第3章が待ち遠しくて仕方ありません。序章ともついに繋がるのですね!
…それにしても、いそしずさんの文章や記事の構成、只者ではない感がぷんぷんするのですが。昨今のつまらない新聞や雑誌の記事よりも面白いです^^
次回の記事も、楽しみに待っております。

window様

ありがとうございます。不明な点が多すぎて、まとまらないのでは、と自分でも不安になりましたが、何とか第二章を書くことができました。塚口では、記事中の利昌工業が昭和17年に操業を開始している他、南西側にある神東塗料も昭和15年に本社移転の上、工場の操業を開始しており、弾丸列車の計画に関係なく工場の操業を始めている、これらの会社の存在は、神社ほどの絶対的な存在ではありませんが、その建設時期によってはルート確定の上で重要な要素だと思っています。他にも当時からある学校などは、移転などの手間と影響を考えると、考慮すべき対象でしょうか。陸軍用地の存在は、記事中にもある通り、通過、回避、どちらの可能性も考えられますので、まだはっきりとしない状況ですが、この件については大阪側の考察によって確定してくるのではと思っています。
この記事は、単なる一個人の趣味的なもので、私は歴史研究家でもなく、ただの放浪好き、お出かけ好きに過ぎません。結論が分かっていて書いている訳ではなく、調べながら記事を書いている状態で(^^;)・・・行き着く先には、がっかりされるかも知れませんが、少しでも迫れるよう頑張りたいと思います^^ 第三章まで、もうしばらくお待ち下さい☆

 いそしずさん お早うございます。
西宮の「ねじりまんぽ」を潜り、続編を楽しみにしていましたが、まさかこんな気宇壮大な物語になるとは予想もしませんでした(驚き)。

西宮・芦屋・尼崎辺りは土地勘もありますが、あとは記事と地図を見比べ拡大・縮小・スクロールしながら楽しんでいます。
で、昨日偶々大和川左岸を河口に向かって歩いてますと、なにやら産土の杜が。
大きな掲示板があり阪神高速大和川線工事に因り、南に換地移転するとの事。
老朽化した柱石は粉砕し記念碑になると(涙)。
神社の社格や歴史と近隣住民の意向もあるんでしょうがナンダカナの感(汗)。

愈々終章にむかい楽しみに読ませて頂きます(感謝)。

難波のやっちゃんさん、こんにちは。

ありがとうございます。何とか、第三章への道筋をつけることが出来ました。序章を書いている時は、何部かにはなると思っていましたが、こんなに深くなるとは予想していませんでした。第三章は、本日中にアップしますので、よろしくお願いします。
神社などの歴史的建築物と弾丸列車を考察していると、いつしか意識は見たこともない戦前へと飛んで行くような気がしました。神社も合祀などもあり、移転がないとは言えませんが、取り壊されるのは、やはり理屈以前に納得できないものを感じますね。第四章、第五章と、まだ続くかもしれませんが、ひとまず第三章で一区切りです。至らぬ素人考察が続くかも知れませんが、今後とも、よろしくお願いします(^-^)

はじめまして
「弾丸列車 計画 ルート」で検索中にこちらにたどり着いた者です。
実は、よそ様のブログなのですが、「十三のいま昔を歩こう」という名前のブログで、そこのブログ主の方が、弾丸列車と新大阪駅というタイトルで詳しい記事を書いていらっしゃいます。
弾丸列車の新大阪駅予定地の地図も載せておられますので、参考にされてはいかがでしょうか。
(もしご都合悪ければ消去していただいて結構です)

aiueo 様

情報、ご提供ありがとうこざいます^^
ちょうど兵庫県側を書いている時に、大阪側で大きな発見があったようですね。大阪側の弾丸列車構想の歴史を知る上で重要な資料と思います。いろいろな著者が、多くの推測を出している中で、素晴らしい発見であり、戦時中の資料が発見されたことにも、正直驚きを感じています。また、このようなタイミングで情報を頂いたことにも、ご縁があると感じ、大変感激致しました。ありがとうございます。
当ブログでは、実際の実地の様子、そして、その地区の歴史などの視点から、今回のテーマに迫ってみたいと考えております。その結果が、どのようなものとして浮かび上がってくるのか・・・大阪側にはどのような歴史が眠っているのか。。。ただ当ブログは、どちらかと言えば、ウォーキングやハイキングを楽しみながらの地域紹介に近いテーマで書いておりますので、本来、本格的な地域史や歴史調査は身の程知らずと申しますか、深い調査結果とは言えないと思いますが、今回の弾丸列車構想では、当時の情景も含め、その指し示す結果を、対比も含めまして、いろいろとお楽しみ頂ければ幸いでございます。
このたびは、貴重な情報をお寄せ頂き、ありがとうございました。次回は当方も、いよいよ新大阪編となります。結果はどうあれ。。。(笑)今後とも、よろしくお願い致します^^

大阪ではグランフロント大阪がオープンし、神戸のumieはどうかな?と、ネット検索していると、貴殿のブログに出会いました。初めて訪問します。
神戸北区在住で、JR有馬線の文字に引かれ読ませていただきました。 昔カブスカウトのハイキングで、岡場~新三田を歩いた際に、知りましたが、貴殿の説明つきなら、もっと楽しめたかも。。。 再度 歩いてみたい気になりました。 有難うございます。

mayumi 様

ご訪問ありがとうございます。umieの記事から、有馬線の話題に興味を持って頂きありがとうございました。大阪ではグランフロント大阪がオープンしましたね。梅田の変貌ぶりをまた見に行ければと思っています。umieとアンパンマンミュージアムでハーバーランドも、賑わうといいですね。
有馬線は、JR福知山線との分岐点付近にも、少し名残が残っています。今回は、歴史的な側面をあまり紹介できませんでしたので、また追加記事で紹介するかも知れません。篠山線も訪ねてみたいと思っています。コメントありがとうございました^^ 今後ともよろしくお願い致します。

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