レンガ造りの明治隧道で聞くコンサート-神戸市兵庫区・湊川隧道-
神戸市の兵庫区。ここに湊川が流れています。かつては、今の新開地、ハーバーランド方面へ流れていましたが、洪水対策や港への土砂の流入を防ぐため、流路を変更。埋め立てられた旧河川には、新たな街が作られました。
★旧湊川と、その周辺については、こちらも参照下さい★
そして、こちらが新しく作られた新湊川です。流路の途中には会下山(えげやま)と呼ばれる山があったため、この下を河川トンネルで抜ける構造となっています。こちらの河川トンネルは2002年(平成14年)の完成。よく見ると、上にも入口らしいものが見えていますが・・・
それがこちら。湊川隧道は新トンネルに改築されましたが、それまでに使用されていたトンネルは1901年(明治34年)製という大変古いものだったため、新トンネルの経路を逸らすことで、旧トンネルの大部分は、そのまま保存されました。これは、その旧トンネル部分へ入るために設置された入口です。
旧トンネルと新トンネルの位置関係が掲げられていました。直進していた旧トンネルに対して北側へ並行するように新トンネルが設置されています。震災の影響で損傷していたこともあり、旧トンネルの入口、出口は残されていませんが、損傷の少なかった内部は保存され、現在では月に1回公開され、内部でコンサートなどのイベントが行なわれている、という訳です。
訪問した6月16日は、まさにその月1回の公開日。今回は、夢野中学校吹奏楽部のコンサートが開催されるとのこと。さっそく、旧トンネルの中へと向かいます。
緩やかな連絡道を下ると、旧湊川隧道内部が見えてきました。ひんやりとした空気が、体を包み、まるで異次元の世界に入るような感覚。
気温は約18℃。真夏でも20℃程度とのこと。高さは約7.7m。幅は約7.3m。想像していたより、ずっと大きなトンネルです。今から110年以上も前に、こんな大きなトンネルを、しかも河川用として建設したとは、驚き以外の何物でもありません。
内部は、一部補強されているものの、ほとんど当時のままの総レンガ造り。100年を越えて目の前に迫るその迫力は、圧巻の一言です。
建築好きな方は、レンガの積み方も気になるところでしょうか。内部のレンガは、このような積み方になっていました。レンガの積み方には、実はいろいろな種類があります。
分かりやすいように、代表的なレンガの積み方を図にしてみると、こんな感じになります。レンガの短い面を緑色、長い面を黄色で着色しました。1番は短い面ばかり並べる「小口積み」、2番は逆に長い面ばかりにした「長手積み」、3番は短い面と長い面を1段ごとに交互にした「イギリス積み」です。4番は短い面と長い面を、同じ段でも交互に配置した「フランス積み」。この湊川隧道は、どれでしょうか。
正解は、3番のイギリス積みです。神戸には、他の積み方の建築物もあり、いろいろ探してみるのも楽しそうです。
そして開会のあいさつの後、夢野中学校の生徒さんたちによるコンサートが始まりました。110年以上前のトンネルで行なう、中学生のコンサート。建築した当時は、想像もしなかった光景かも知れません。それでは、ここからは大きめの写真を多めに掲載します。
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100年以上前のトンネルに、吹奏楽が響きます。
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入場は無料ですが、観客は決して多くはありません。しかし、総煉瓦造りの明治隧道・・・このような雰囲気で音楽を楽しめる機会はなかなかありません。音はトンネル入口まで届き、閉塞空間である隧道は、音響効果も抜群です。
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そして、改めて歴史を振り返りますと、湊川隧道の完成は1901年(明治34年)、日本初の河川用トンネルとして開通しました。ちなみに日本最古の(近代)隧道は、同じ神戸市内に1871年(明治4年)に完成した鉄道用の石屋川トンネルですが、こちらは現存していません。現存する現役最古の鉄道トンネルは、横浜市に1887年(明治20年)に開通した清水谷戸隧道となります。元鉄道用であれば、現在は道路用として使用されている小刀根隧道(滋賀県)が、更に古くて1881年(明治14年)の完成。当初から道路用のレンガトンネルでは、兵庫県にある1883年(明治16年)完成の鐘ケ坂隧道が最古となるようですが、こちらは通行はできません。
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コンサートが行なわれている地点までは、床に踏み板が設置されていましたが、その先は、床面も当時のままの状態。
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係員が点検に向かって行きました。一直線のトンネルは、何か吸いこまれそうな雰囲気。1人で見回るには勇気がいりそうですね・・・
貴重な明治隧道、そして近代化遺産、神戸市兵庫区の湊川隧道と、夢野中学校吹奏楽部のミニコンサートでした。
最後に湊川隧道の位置です。
神戸市営地下鉄「湊川公園駅」もしくは神戸電鉄「湊川駅」から、北西に徒歩約10分のところにあります。おまけですが、近代化遺産と言えば、ここから北東へ2kmほど行った場所にも、神戸市水の科学博物館(1917年(大正6年)竣工)があります。
こちらは、1914年(大正3年)に着工した神戸水道の終点で、神戸市北部の千苅貯水池から宝塚市、西宮市、芦屋市を通る水道管が敷設され、神戸市に衛生的な近代上水道が完備されました。近代化遺産巡りであれば、湊川隧道とセットでぜひ訪れたい施設。
そして突然ですが、こちらは最近、別のテーマの記事で使用した、芦屋市と西宮市の境界付近の地図です。実は⑤から左下に斜めにのびる青いライン、これが実は神戸水道のものなのです。ここは今でも水道管が通っており、緩やかなカーブを描いた通路となっています。
弾丸列車計画に、土砂排泄鉄道に、神戸水道まで。芦屋市の岩園地区は、実はとんでもない近代化遺産地区だったと言えそうですね。そして、これで、あの「序章」の謎は、本当に全て解き明かされたとも言えそうです・・・ちょっと引っ張り過ぎたでしょうか(笑)
神戸水道の模様は、また当ブログでも、取り上げたいと思います。
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コメント
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あら・・・
「神戸水道」 答えが既にでてましたねw
大変に失礼しました w
しかし 読み応えがある記事ばかりです。
古地図を見れば、ハの字の引込み線があります。不思議だとは思ってましたが、トンネル土砂排出用とは考えも及びませんでした。
以前に妙法寺に住んでました。RCで出来た謎の建造物に もう少し興味を抱いていればと今は後悔しきりです。
別の愛読ブロガー様の記事が少し関係もしてますので、リンクはらせて頂きました。
http://densya-oyaji.seesaa.net/article/157822468.html
ひろ。
投稿: ひろ | 2014年2月15日 (土曜日) 19時53分
ひろさん、こんばんは。
序章の解答部分に気付いて頂き、ありがとうございます。
元記事にリンクを貼っておらず、失礼致しました。
弾丸列車のシリーズから離れた記事となっておりますが、よくここに解答が書いてあると気付いたものと驚きました。ありがとうございます。
ハの字の貨物線は、私も大谷町の砕石運搬用のものとは気付いたのですが、まさか、その北部にあのような計画があるとは思っていませんでした。つながりに気付けたのは、本当に偶然だったと思っています。
妙法寺の弾丸道路跡も、今は交差地点であるとの確信を持っていますが、ここも本当に偶然のきっかけから始まりましたので、全体を通して、調査中は、いろいろ不思議な感じを受けることが多かったです。リンク先の紹介記事、ありがとうございます。神明急行、弾丸道路、弾丸列車と整理されており、大変興味深く拝見致しました。ご指摘の通り、この3つは混同されることが多いので、何とか全てを明らかにしたいと思います。今後とも、よろしくお願い致します。
投稿: いそしず | 2014年2月16日 (日曜日) 23時26分