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2012年6月18日 (月曜日)

日本最長のトンネル計画-国鉄の描いた弾丸列車構想-【第三章】

戦前に計画された弾丸列車構想。現在の新幹線の基となる計画でしたが、大阪以西については用地買収が一部で進んだものの、戦後になって計画は白紙に。当時の新聞記事から、阪急神戸線南側から西宮北口を経て越木岩へ達するという内容を確認、そこから延長14kmという当時日本最長となる六甲山トンネルで神戸市に至るという計画の概要が明らかになりました。芦屋市の岩園地区から見た送電線と、尼崎市の近松の里周辺の歴史地区のきっかけから、一本のルート(以下想定ルート)が浮上。西宮北口駅に隣接する「アクタ西宮」がキーと判明し、一気に霧が晴れてきました。そして、いよいよ今回は、その西宮北口駅から日本最長となるはずだった六甲山トンネルへ。国鉄の描いた建設の構想を求めて。第二章からの続きです。

★第二章の記事は、こちらをどうぞ★

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

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ということで、阪急西宮北口駅前です。駅の向こうには、第二章で鍵となったアクタ西宮が。そして蛇足ながら、ここは私が小さい頃よく通った思い出の駅。駅も、球場も大きく変わってしまいましたが、ここに降り立ったのも何かの縁。もはや引き返す訳にはいきません・・・というか、まだ1歩も進んでません。。。(汗)

それでは、西へと出発です^^;

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阪急西宮北口を北西に出て、すぐの橋を渡り、そのまま西へ。この道は、岩園変電所から見た送電線の延長線上。正に想定ルートに当たっています。

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振り返ると「アクタ西宮」が立ち塞がるように見えました。

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そして、道はすぐに行き止まりに。この写真は北方向の撮影。右側から来て、この敷地(石垣)にぶつかることになります。

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ここは平木中学校の敷地です。学校の設立は1978年(昭和53年)。当然、戦前に計画された弾丸列車構想時には存在していなかった学校。第二章では、神社や歴史ある寺院を建設の障害として取り上げましたが、学校も生徒、授業などへの影響を考えると、簡単に取り壊して通過させることは出来ません。代替地や校舎などを「先に」整備しなくてはならず、学校は金銭で買収すればOK、という訳にはいきません。

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平木中学校の敷地を抜けて、更に西へ。この辺りは第二章で紹介した通り、M氏が著書の中で、用地買収の痕跡から通過地として唯一具体例を挙げているところ。今回、いそしずが全く別の視点から考察を進めた結果が、ほぼ同じ場所を通ることになりました。これはこの想定ルートが、当時の構想ルートから決してかけ離れたものではないことを示していると考えられます。

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そして国道171号線(通称イナイチ)を斜めに横断して、向かい側にあるスーパーの敷地を通過。ここにはボウルトマトというボウリング場も併設されています。スーパーの店名は関西スーパー広田店。実は、ここはアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の舞台の1つとしても有名で、訪れる人も多いとか。実は、そこに新幹線の計画も?アニメ好きで鉄道好きな人には、実はとんでもない聖地ですね(笑)

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その先は住宅街の路地となり、道としては真っ直ぐには追跡できません。標高差10mほどの高台があり、小さな丘陵地を越えます。これは、その丘陵地の上から想定ルートを振り返ったところ。正面に先ほどの関西スーパー広田店、そして重なるようにアクタ西宮が見えました。平木中学校は、その中間。本当に一直線に進んできたことが分かります。

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そしてルートは、大社小学校の北側へ。左が大社小学校。設立は1887年(明治20年)という大変歴史の古い学校です。想定ルートは大社小学校側ではなく、右手に見える新日本石油夙川社宅側を通過。この想定ルートより南では、この古い学校の敷地を通過することになり、現実的ではありません。

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大社小学校北側を抜けると、高さ10mほどの小さな谷を挟み、もう一度、前方の丘陵地へ。その先はもう夙川です。六甲山が、だいぶ近くなってきました。

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そして丘陵地を緩やかに下って、桜の名所100選でも有名な夙川に到着しました。すぐ下の橋から想定ルートの横断地点を望んだところ。

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ここまでのルート図です。1が平木中学校、2は関西スーパー広田店、3が大社小学校、4の川が夙川です。下った所は阪急夙川駅。

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夙川を越えて、更に西へと向かいます。すぐに夙川小学校に到着しました。ここから、例の送電線が合流。夙川小学校は1936年(昭和11年)の開校。ここは学校敷地の北側をかすめる形となりますが、北側(プール付近)は1957年(昭和32年)に拡幅された敷地。

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そして更に送電線をたどると、すぐに木津山公園がありました。実はこの公園も、完成は1958年(昭和33年)。弾丸列車構想(大阪以西)が完全に潰えたのは、訴訟問題が決着した1950年代後半と言われており、先ほどの夙川小学校の拡幅といい、時期的にも見事に符合しています。

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そして、そこからはまるで築堤のような、送電線の敷地が。

★写真をクリックすると拡大表示します★

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緩やかな斜面を送電線とともに西へ。写真は、送電線と越木岩の掲示板。

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そして送電線用地は、いきなり急斜面へとぶつかりました。高さは20m近くはあるでしょうか。夙川の標高は10m~20m。この付近は標高40m~50mとなっています。そう、ここは第一章で考察した西宮市と芦屋市の境界斜面。この上が芦屋市の岩園地区、そして岩ヶ平と呼ばれる地区となります。鉄道の勾配では、当然この斜面を越えることはできません。ここがトンネル入口予定地だったのでしょうか。その疑問に答える前に、この急斜面を登らずに右へ行ってみます。すると、そこには序章で紹介したあのトンネルが。

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岩園トンネル(序章の写真)です。実は、ここにも何か気になるものが写っているのが分かるでしょうか。この角度では分かりにくいですね。

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それがこちら。そう、岩園トンネルの正面右、高い柵で囲まれた部分です。これはテニスコートの跡地でした。非常に細長い敷地が奥まで続いています。不自然なほどの細長い敷地で営業していたことが分かります。これは不思議な敷地ですね。では、ここで想定ルートの高低差図を見てみましょう。

★↓図をクリックすると拡大表示します↓★

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※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項、サイズ規定5枚までの2枚に該当。

それが、こちら。5がテニスコート跡地です。想定ラインの位置と、その部分の標高(表の赤いライン)を下に示してみました。2の夙川小学校の後、4の急斜面部分まで緩やかに標高を上げているのが分かります。その勾配は。。。すぐ上に引いた青いライン、実はこれは20‰(パーミル)の勾配を表す線です。そう、勾配は約20‰(パーミル)となっていました。パーミルとはパーセントとは違い、主に鉄道で使われる勾配を表す単位。20‰(パーミル)とは1,000m進んで20m上がる勾配を表します。そして、ここが大変重要なのですが、東海道新幹線で定められた最大勾配は、なんと20‰(パーミル)なのです。

※出典※新幹線鉄道構造規則 第三節第十五条
線路の最急勾配は、千分の十五とする。ただし、延長二・五キロメートル以内の区間に限り千分の十八、延長一キロメートル以内の区間に限り千分の二十とすることができる。

これまでたどってきた想定ラインは、見事に新幹線規格の勾配となっていました。もうこれは偶然などとは考えられません。そして、その20‰勾配が急斜面にぶつかる場所。そう、そこが、まさに六甲山へのトンネル入口となります。そして更に、そのトンネル入口となる場所を迎えるように直交する不思議なライン(上図の緑ライン、北端は先のテニスコート跡)・・・ここで何か思い出しませんか?

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これは序章の時の図です。あの時(上図の4番から)たどった緩やかな勾配のライン。それを少しだけ北に伸ばすと・・・今回見たテニスコート跡地に達するのです。そして、もちろん反対側は大谷町の社宅群へ。。。トンネル入口に直交するように伸びる1本のライン・・・そして、その南は大谷町・・・。

これは一体、何を意味するのでしょうか。

第二章で掲載した昭和17年の報知新聞。あの記事には、実は続きがありました。六甲山トンネルについての記述です。そこには、驚くべきことが書かれていました。

このトンネル工事は、丹那の如くに土砂の崩潰や湧水は比較的少く、案外容易な工事と観測されているが、なにしろ全長14kmに及ぶ掘削作業なので、ここから排泄される土砂は約150万立方メートルに及び、これだけで相当な小山が築かれようという莫大なもので、工事事務所では土砂排泄鉄道を別に建設し、内務省の神戸港拡張工事と並行して神戸港埋立土砂に使用しようとする計画を進めている。

出典・神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」
(所蔵・神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫)

14kmのトンネルから出る膨大な土砂・・・
土砂排泄鉄道を別に建設・・・
神戸港埋立土砂に使用・・・

もう、疑う余地はありません。これらは、あの歴史と重なり合います。

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そう、それは序章で見た歴史・・・大谷町にはかつて山があり、その土砂を神戸港建設のために使用するため、専用の貨物線が建設された。昭和初期までには、山は全て切り崩され、大阪方面への貨物線は電化のための送電線用に、そして神戸方面への貨物線は放置され、後に宅地に消えた。。。

キーワードは、今、全てつながりました。

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神戸方面へ残された、土砂運搬のための貨物線。それを北に伸ばした場所に、もう1つの巨大プロジェクトが進められようとしていました・・・それは世界初の高速鉄道、そして日本最長となる六甲山トンネルの建設。トンネルへの勾配は、東海道新幹線と同じ最大20‰(パーミル)。そして、そこから出る膨大な土砂を神戸港造成のため、大谷町の貨物線を延長して運搬。戦前に宅地開発が進められた西宮市の越木岩地区には、この巨大プロジェクトの障害とならないよう、建設予定地が確保された・・・昭和30年代に入ってプロジェクトは白紙撤回となり、予定地は送電線、公園、学校の敷地、果ては社宅などとして再利用された。。。

もちろん、文献的な証拠はほとんど残っていません。特に貨物線の用地については、場所を確定させるものでもありません。しかし、これだけの偶然は、もはやあり得ません。現地の様々な状況からは、この話が全くの空想ではなく、むしろ、この方向を明確に指し示している・・・当時の弾丸列車構想は時代を超え、今も、この地に眠っている。。。現地を歩いていると、確かにそんな気がして来るのです。

★↓図をクリックすると拡大表示します↓★

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そして弾丸列車が目指した神戸・・・現在の新神戸駅です。ここは越木岩の入口から西へ12kmほどの地点。そう、第二章の新聞記事にあった通り、新神戸駅は当初ここではなく、平野付近が予定されていました。14km先の出口。それは、ここ・・・

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新神戸駅予定地付近から、神戸の街並みを望みます。新神戸駅も、今とは違う歴史が隠されているようです。そして、未だに謎のままの新大阪駅。ここにも、また知られざる歴史が現地に眠っているのでしょうか。それは、また次回以降・・・

★↓図をクリックすると拡大表示します↓★

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ここまでの長文、最後までお付き合い、本当にありがとうございました。ひとまず、梅雨の雨に煙る神戸の街を散策しながら。。。次回の新大阪へと思いを巡らせたいと思います。

★続編、大阪の弾丸列車構想はこちら★

混沌と矛盾の新大阪駅-戦時下に隠された弾丸列車構想-【第四章】

★前回までの弾丸列車構想については、こちらをどうぞ★

西宮市に残る日本最古の「ねじりまんぽ」と謎の貨物線ー近代化への痕跡ー【序章】

幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】

よみがえる大阪-神戸の弾丸列車構想-知られざる近代化への道-【第二章】

★廃墟・廃線跡関連は、こちらもどうぞ★

旧国鉄五新線(阪本線)を訪ねて【第一部】-

六甲山に眠るロープウェイ駅の廃墟-幻の六甲登山ロープウェイ-

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コメント

 こんにちは いそしずさん
遂に点<ねじりまんぽ>と点<岩園隧道>が線<土砂排泄鉄道>になり、そして幹線<高圧送電線>に辿り着きました(吃驚)。

本日午前“ねじりまんぽ”をスタート、大谷・高塚・殿山・深谷・木津山と町名が地形を表わす道路を“岩園隧道”まで歩く。
此のトンネルは過去何度か車で通ったが、頂上へ上がるのは初めて。
視界が開けなんと送電線が真直ぐ東は“アクタ西宮”方面へ、西は岩園変電所を越え六甲山へと続く。
此れが幻の『弾丸列車』のルートなのか(感激)。
で、「土砂排泄」鉄道なる用語 初めて耳にしました(笑)。
余談ですが原発には此の仕組みが無いのです(汗)。
歴史に<若し>は無いのですが、間違ってあの大戦に勝っていたら…

よくぞ壮大なロマンを資料の読み込みから調査推理し実査の上記事になさったものです(多謝)。

難波のやっちゃんさん、こんばんは。

ありがとうございます。現地へさっそく足を向けられたのですね。序章から始まって、何とか第三章までまとめることが出来ました。大谷町の土砂運搬貨物線を歩いている時は、単にいつものような紹介記事にするつもりだったのですが、位置的にも近く、以前から気になっていた「岩ヶ平」へ行ってみようと足を向けたのが、全ての始まりだったような気がします。
送電線の先に見たマンションは、すぐに西宮北口だと分かりました。弾丸列車構想の噂話は聞いたことがありましたが、実際に当時の新聞記事を発見してから、一気に流れが変わったような気がします。後は、本当に点が線となるような感覚でした。夙川周辺は、古くから宅地開発が進められた地区ですが、確かに、この周辺の地名には過去の地形が反映されているものが多いようですね。今度はどこか不思議な地名にも、視点を向けて、また記事にしてみたいと思います。そして現在、少しずつですが、新大阪駅周辺の考察も進めています。この「点」が「線」としてつながる時、大阪-神戸の全容に至るのですが。。。もう少し現地での調査を重ねたいと思います。更に余力があれば、神戸-姫路も取り上げる予定です。少し間が開くかも知れませんが、よろしくお願い致します^^

いそしずさん

序章から第三章まで拝読しました・・・

ただ、驚くばかり!、すごいですね。
違和感なく Google Mapと併せて確認しながら地図上で進路を辿ってみましたがこれだけの資料をよく読み解かれたものです。

本当に、ただ、驚くばかり!です。

Go Teddy 様
弾丸列車構想の記事に、目を通して頂きまして、ありがとうございました。
弾丸列車構想のルートにつきましては、その後、研究誌「歴史と神戸」の方へ掲載頂けることとなり、当時の新神戸駅の計画につきましても、ごく一部ではございますが、文庫「神戸謎解き散歩」へも掲載頂いております。ブログ記事は、さらに第4章から第10章、その後第2部へと続きまして、新大阪-新姫路につきましては、当時の計画ルートがほぼ完全な形で判明できたものと思っております。
現在、新姫路-新岡山間のルートを確定すべく、現地調査を続けております。今後とも、よろしくお願い致します。

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