戦前に計画された弾丸列車構想。東海道区間は、戦後、その多くが東海道新幹線となって結実しましたが、山陽区間は戦後の土地返還要求などもあり、いったん構想を破棄。新たに白紙の状態から山陽新幹線が建設されたため、用地買収が進んでいた一部の区間を除いて、構想の詳細は歴史の闇に消えようとしています。特に大阪-神戸は、いくつもの噂が都市伝説のように伝えられており、その実態は闇のヴェールに包まれていました。薄れゆく弾丸列車構想の真実を目指して。第一章からの続きです。
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幻の新幹線計画(大阪-神戸)-闇に消えた弾丸列車構想-【第一章】
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こちらは第一章で紹介した、大阪以西の弾丸列車構想諸説です。これは噂だけに留まらず、様々な著者から、これらの構想ルートが紹介され出版されています。例えば、川島令三氏は「山陽・九州新幹線ライン」の中で1番のルートを挙げておられますし、森口誠之氏は「鉄道未成線を歩く-国鉄編-」の中で2番に近いルートを紹介しておられます。川島氏も森口氏も、芦屋市の岩ヶ平(いわがひら)付近を六甲山へのトンネル入口としている点では共通していますが、あとは森口氏が、西宮市の平木中学校付近を具体例として挙げている他は、建設予定地についての具体的な記述はありません。3番の山手幹線沿いについては、噂ばかりで著作物は少なく、唯一芦屋ロータリークラブ発行の「芦屋ロータリークラブ50周年記念誌」の中に、簡単な紹介を確認することが出来ました。
このような状況では、まずルートを1つに絞らなければ話になりません。そこで今回は、まず当時の新聞記事から見てみることにしましょう。
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