旧国鉄五新線(阪本線)を訪ねて【第二部】-バス専用道でつなぐ夢の跡-
江戸時代の街道の面影を残す奈良県五條市。ここから紀伊半島を縦貫し、和歌山県の新宮市に至る鉄道が計画された時期がありました。それが旧国鉄五新線です。昭和34年までに完成した城戸までの路盤を利用し、昭和40年に異色のバス専用道として暫定開通。鉄道の夢が破れた後も、そのままバス専用道として継続、現在に至っています。しかし、その専用道を行くバス路線は平日5往復、休日は1往復という少なさ。さらに休日の出発時刻は午前6時50分と、破格の訪問難路線となってしまっていました。旧国鉄五新線に残った異色のバス専用道を訪ねて。第一部からの続きです。
★第一部の記事は、こちらをどうぞ★→旧国鉄五新線(阪本線)を訪ねて【第一部】-奈良県五條市の山間に続く夢の跡-
という訳で、夜の奈良県は五條市内です。大阪、難波からの始発に乗れば、何とか間に合う時刻とはいえ、早朝のバスを利用するとなると、早めの現地入りが安全策。全国有数の特異なバス路線乗車のためには、多少の苦労も致し方なしという感じでしょうか・・・それにしても、ほとんど人通りのない暗い夜道。静けさだけが周囲を支配していました。
そして、待望の夜明け。こちらは五條バスセンターです。奈良交通のバスが発車を待っていました。専用道城戸行のバスは、ここが始発。乗客は私以外に1名のみ。いよいよ、旧国鉄五新線(阪本線)のバス専用道へ出発です。
五條市街地は車道を走り、途中からバス専用道に入ります。最初から乗車されていた唯一の地元の乗客は、この時点で下車されてしまい、寂しげな雰囲気のままバス専用道へ。
入口には『ここは「路線バス専用道路」です。一般車両は全て進入禁止』と大きく書かれていました。このスロープを登ると、いよいよ鉄道路線を利用したバス専用道です。
そして、未開通に終わった旧国鉄五新線の鉄道路線に入りました。単線鉄道の幅しかない、バス1台がやっとの細道。
しかし専用道なので、他の車に邪魔される心配はありません。鉄道のように快適な走行。一般道路と交差する部分には、何やら踏切のようなものも。
たて続けに何本か道路と交差。遮断機こそありませんが、警告灯が設置されていました。壊れた遮断機のようなものも見えましたので、以前は本当に遮断機があったのかも知れません。
そしてバスは次第に山奥へ。元々の鉄道路盤とは言え、舗装は簡易的で、決して平坦とは言えません。なかなかワイルドな乗り心地です。
そして専用道生子(せんようどうおぶす)バス停に到着。前方には、トンネルが。
全長832mの生子(おぶす)トンネルです。
狭い単線鉄道のトンネル。もちろん照明はありません。直線のトンネルのため、出口が最初から見えてはいますが、窓の外は真っ暗。路面には凹凸もあって、何度も減速。通過は、なかなか長い時間に感じます。
生子トンネルを抜けると、前方に立派な道路橋が見えました。整備の行き届いた立派な道路に比べて、ひび割れて舗装も怪しげなバス専用道。専用道神野バス停付近です。
見えていた道路橋の真下で、こちらも川を渡ります。ここには簡易的なシェルターが設けられていました。
そして全長139mの親房トンネルに突入。
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抜けると、すぐに次の屋名瀬トンネルです。屋名瀬トンネルは全長35mしかなく、出口も見える短いトンネル。
そのトンネルを抜けると、賀名生バス停に到着しました。ここは賀名生駅が設けられる予定だったところ。
周囲はすっかり山の中。橋とトンネルが交互に続きます。大きく左カーブしながら、続いて大日川トンネル(532m)に突入。
こちらは生子トンネルより短いものの、カーブしているため出口の光が見えません。電車ではなかなか意識しませんが、鉄道用のトンネルの暗さと狭さを実感できる貴重な体験です。ここの路面にも凹凸があり、慎重に進みます。
抜けると、今度は右カーブ。
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衣笠トンネル(241m)に入ります。
抜けると、立て続けに次のトンネルが。
黒渕トンネル(74m)です。出口も見える短い距離。トンネルはこれが最後です。
あとは終点「専用道城戸」へ向けて、ラストスパート。
五條バスターミナルから30分ちょうどで、無事「専用道城戸」に到着しました。折り返し時間は5分もありません。結局、この日は専用道区間の地元客はなし。折り返し便には途中から2名が乗車し、あとは専用道区間が終わった五條市内に入ってからの利用が目立ちました。それでも、それ以外にファンと見られる2名の乗車もあり、救いとなっていたようにも感じます。もう少し休日の運転時間が違えば、趣味目的での乗車が増えるかも知れません。ただ趣味目的での訪問目当てだけのために、バスの時刻を変更する訳にもいかないとは思いますし、もともと保守目的のみでの運転なのかも知れませんが。。。どちらにしても厳しい利用状況のようで、風前の灯火とも言えそうな運転状況。
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それでも戦前から建設が始まり、1959年(昭和34年)に完成していた鉄道路盤、すでに半世紀以上前の単線鉄道施設を利用したバス路線は、そのワイルドな乗り心地、道路の狭さ、次々と現れる暗く狭いトンネル、古いコンクリート橋梁、どれを取っても、ここでしか味わえないだろう最高で興味深いバス路線でした。1965年(昭和40年)の運転開始から47年。この地の鉄道建設の夢をかろうじて現在に伝える、全国異色のバス専用道路線でした。
★今回の地図はこちら★
①はバス専用道入口、②は第二発電所口付近、③は賀名生駅予定地付近、④は終点城戸です。
※この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しています。利用の目的第8項に該当。
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いそしずさん、こんばんは。
奈良県にも廃線跡のバス路線があったとは知りませんでした。
思い出したのが福島県白河市の白河駅からの白棚線(はくほうせん)です。
30年ほど前ですが、2-3回乗りました。
普通のバスより楽しいですよね。
ローカル線で見る遅いディーゼル車よりもバスの方がレスポンスが高く、実用的かもしれません。
まあ本物のレールならなおよしというところですが…。
投稿: ちゅた | 2012年5月 7日 (月曜日) 20時48分
ちゅたさん、こんばんは。
福島県の白棚線ですか。あちらは廃止路線をバス路線に転換したものですね。ずいぶん以前になりますが、近くを通った際に、ちらりと見ようとしたことがありますが、結局時間がなく計画倒れに終わりました。2-3回も乗られたなんて、すごいです・・・というより、うらやましい^^
五新線(阪本線)は未成線なので、白棚線とは少し違いはありますが、鉄道路盤を利用しているという点や、元々が単線鉄道路盤であるというのも共通してますね。白棚線(昭和32年開通)の一定の成果に手応えを感じた当時の国鉄が、五新線のバス専用道化を働きかけたようですので、両線は兄弟と言えるかも知れません。確かに、キハ40系などの重い気動車よりも、本物のバスの方が実用的ですね。最近では、レールの上も走行でき、またバスのように道路も走れる、デュアル・モー ド・ビークルなども開発が進んでいるようですが、レールにこだわらなければ、専用道化したバスでもOKな訳で、今でも閑散線区や第三セクター鉄道の一部などは、その方が良いのでは、と思えるものもありそうです。
それでも、やはり鉄路だから、いいのでしょうが。。。^^
投稿: いそしず | 2012年5月 8日 (火曜日) 21時53分
衣笠トンネルの状態が良くないため9月末をもって専用道が閉鎖されます。
危険な箇所以外はサイクリングロードや遊歩道に転用すれば観光資源として活用できると思います。(トンネルについても安全が確認でき次第整備)
投稿: 七夕伝説 | 2014年9月18日 (木曜日) 13時43分
七夕伝説さん、こんばんは。
UBS52さんからも、同じ情報を頂きました。やはり9月末で廃止されるようですね。鉄道路盤を使ったバス路線としては、白棚線と並んで元祖とも呼べる存在だっただけに惜しまれます。
五条-新宮を結ぶ日本最長の路線バスも廃止のうわさが絶えないようで、とりあえず存続したとは言え、こちらも予断を許さない状況のようですね。バス旅の魅力は見直されている感じがしますが、一方、各地で路線バスの廃止や縮小は続いており、地方ローカル鉄道と同様、難しいものを感じます。バスは廃止されると、公共交通としての代替手段は非常に限られたものになるため、地域への影響は大きいですね。
投稿: いそしず | 2014年9月21日 (日曜日) 23時42分