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2012年4月11日 (水曜日)

六甲山に眠るロープウェイ駅の廃墟-幻の六甲登山ロープウェイ-

神戸市灘区。ここに六甲山への観光に便利な六甲ケーブルがあります。六甲ケーブルを運行しているのは、阪神電鉄の系列会社である六甲摩耶鉄道(元の六甲越有馬鉄道)。しかし、実はこのケーブルのすぐ西側で、阪急電鉄の系列会社である六甲登山架空索道が、かつてロープウェイを運行していた時代がありました。両者の乗客誘致合戦は熾烈を極めたようで、当時は阪急と阪神が合併するなど考えられないことだったに違いありません。

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この六甲登山架空索道(六甲登山ロープウェイ)は、昭和6年(1931年)に運行を開始。現在も残る六甲ケーブルは昭和7年(1932年)の営業開始ですので、それより1年早かったことになります。今回は、この六甲登山ロープウェイの歴史を追いながら、その痕跡を山上側から訪ねてみることにしました。

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ということで、六甲山上にある六甲山ホテルです。昭和4年(1929年)に阪急電鉄系列のホテル、宝塚ホテルの別館として開業しました。現在でも当時のままの建物が残っており、近代化産業遺産に指定されています。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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山上の位置関係は、こちら。六甲山ホテルのすぐ東側に六甲山郵便局があり、この裏手に六甲登山ロープウェイの六甲山上駅がありました。そして駅と道路は月見橋という橋で結ばれていたのですが・・・。

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その月見橋がこちら。激しく生い茂る樹木の向こうに、かろうじてその姿をとどめていました。道路につながる手前側は崩落し、近付くこともできません。六甲登山ロープウェイは、昭和19年(1944年)に戦時中の不要不急路線(鉄材供出)に指定されて廃止されましたので、廃止からは実に68年の歳月が流れていることになります。

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同地点を別角度から見ると、「つきみばし」の名、そして優美な形状の欄干が、しっかりと残っているのが分かりました。この先のあった駅舎部分は取り壊され、閉鎖された別の建物が建っているため近付くことは出来ません。

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そして、登山道のアイスロードを下っていくと、なにやらコンクリートの塊が。

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思わず通過してしまいそうですが、よく見ると鉄筋コンクリートの跡が四角形に4つあるのを確認できました。これが六甲登山ロープウェイの支柱、土台の跡です。

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そして、麓のアイスロード入口です。ここは六甲ケーブル下駅から800mほど歩いたところ。

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このアイスロード入口近くの茂みの向こうに、何やら黒い塊が。

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目の前に接近しました。上部にくぼんだ2つの凹み。向こう側から手前に斜めに立ち上がる構造物。これはロープウェイのホームだった部分。そう、ここが六甲登山ロープウェイ「六甲山登り口駅」だった場所です。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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全体の位置関係は、こちら。当時のロープウェイ経路も書き加えてみました。六甲ケーブルとの位置関係がよく分かりますね。戦時中の金属供出令では、最初どちらか一方を休止するようにとの話だったようですが、阪急と阪神、どちらも折り合わず、結局、双方とも不要不急路線に指定されてしまったとか。阪急側の六甲登山ロープウェイはすぐに撤去されたものの、阪神側の六甲ケーブルは、先に摩耶ケーブルの撤去を行なっていた関係から、撤去に時間がかかり、結局そのまま終戦。廃止となった六甲登山ロープウェイとは対照的に、六甲ケーブルは残ることが出来ました。

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それでは、まずは(ホーム先端から見て)駅舎右側へ。斜めに立ち上がるホーム下は、コンクリートももろく、風化が進んでいました。昭和19年の廃止から放置され続けた、無残な光景です。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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ホーム真下です。緩く斜めになっているのが分かります。

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そのホームへ上がる階段も、かろうじて残っていました。草木に覆われている上、下半分が崩壊しているので、ここから登ることは容易ではありません。

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階段の下は、山の斜面に合わせて、急勾配で下っており、ここにいくつかの部屋があったような構造です。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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横から離れて見ると、こんな感じ。天井も壁もなく、コンクリートの骨組みだけが残る姿。美しくも完全な廃墟です。

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右側から、今度は左側へとまわってみます。こちらもホーム上は樹木が覆っていますが、周囲の地面が盛り上がっているおかげで、接近は容易。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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ロープウェイが発着していた、かつてのホーム。階段状のホームが、草木に埋もれながらも、そのまま残っています。

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そして振り返ると、そこには垂直に落ち込む異様な縦穴が。深さは10m近くはあるでしょうか。下には水がたまっており、まるで巨大な井戸のようです。もちろん、落ちれば登ることは不可能です。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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こちらは、その縦穴を外側から見たところ。右側のコンクリートの巨大な壁の向こうが、先ほどの縦穴部分です。左側にも同じような縦穴があり、そして、その中央が、まるで洞窟のように、ぽっかりと空いていました。ホーム跡や、部屋の跡などと比べても、ここは異様な雰囲気。

★↓写真をクリックすると拡大表示します↓★

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その洞窟のような開口部に接近。まるで隔離された部屋のよう。右側に扉が倒れ、中には訳の分からないものが多数散乱していました。朽ち果てた椅子などは確認できましたが、廃止から68年も経っており、果たして当時のものかどうかは分かりません。

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はるかに高い天井を見上げてみます。一面のコンクリート製に見えますが、よく見ると、正面上部は塞いだような形跡が。コンクリート壁の何ヶ所かに開口部があったことが分かります。垂直の縦穴が左右に2つ、その中間に巨大な空洞の部屋。これは一体何なのでしょうか。

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その答えは、意外な所にありました。こちらは六甲ガーデンテラスの近くにある、六甲有馬ロープウェイの六甲山頂駅です。六甲有馬ロープウェイは、現在、六甲山頂から有馬温泉への裏六甲線しか運行していませんが、かつては、ここから表六甲線が、六甲ケーブル六甲山上駅の場所まで運行されていました。表六甲線は、一応、廃止ではなく休止の扱いで、現在でも施設がそのままの形で保存され、自由に見学することが出来ます。

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そこには、ロープウェイの仕組みの解説図がありました。ロープウェイは支索(しさく)と曳索(えいさく)と呼ばれる2本のワイヤーから構成されており、支索は重錘(じゅうすい)と呼ばれる巨大な重りで両端の駅に固定されます。この張り渡された支索を2組作り、その上にゴンドラを載せ、この2台のゴンドラを曳索の両端に結んで、駅の動力で動かすという仕組み。

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その機械室も見学できました。表示の5番、左右に設置されている巨大なコンクリートの塊が支索用重錘です。そして、この部屋は、先ほどの廃墟の巨大な空洞部屋とそっくりですね。つまり、廃墟で見た大きな縦穴は、支索用重錘の設置していた穴、そして巨大な空洞部屋は、六甲登山ロープウェイの機械室だったと思われます。

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最後になりますが、六甲山登り口駅跡は、原型を比較的とどめているものの、崩壊した危険な廃墟です。上部には支索用重錘を設置していたと思われる、巨大で深い縦穴が開いていますが、当然安全柵などはなく、また一部は草に覆われていて大変危険。また機械室跡周辺も、山の斜面となっており、危険です。そして、周囲はイノシシの出没地域でもあり、人に慣れてはいますが注意が必要です。(写真は表六甲ドライブウェイで出会った、野生のイノシシの親子)

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豊かな自然の残る六甲山。その歴史の中に、営業期間わずか13年、戦時中に廃止という六甲登山ロープウェイの存在がありました。それは、六甲山をめぐる観光開発競争、そして戦争による苦しい時代の生き証人。その当時の時代背景を、確かに現在に伝える、六甲登山ロープウェイの廃墟跡でした。

★お知らせ★

当記事の内容につきましては、2011年12月に開催された、六甲山文献資料の収集家「前田康男」さんの講演を一部参考にしております。この場を借りまして、お礼申し上げます。講演の模様は下記を参照下さい★

神戸市灘区制80周年企画-六甲山とその歴史-

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コメント

よくここまで調査されましたね。山上駅は月見橋くらいしか残ってませんが、敢えて道路脇から乗り出し崖っぷちの所から覗き込まないと見えませんよね。登山口駅もハイキングコースから雑木をかき分けて入って行かないとたどり着けません。あのままの状態では危険ですし貴重な歴史遺産として、きちんとした形で残したいですね。

いそしずさん、こんばんは。

深掘りされていて、とてもすばらしい記事です。
記念講演が発端でしょうか。それにしてもよく調査されましたね~。
そして現地でもその場所をよく見つけられました。とても感心します。
このままガイドブックができそうです。
六甲山の観光開発は戦前から活発なものがあったのですね。戦争の影響がなければ今は違ったものになっていたかもしれません。感慨にふけってしまいます。

ロープ-ウェイのメインワイヤーは両端で固定されているのではなく、オモリで引っ張っているのですね。だからたるみもいつも一定に保てるのでしょうか。なるほどと思いました。

油コブシからアイスロードのコース、楽しそうですね。機会を見つけてぜひ行ってみたいです。

Y・Mさん、こんにちは。

ありがとうございます。実際に歩いて目の当たりにしますと、競うように営業していた当時の様子が浮かんでくるようでした。月見橋は、本当に見えにくい位置となってしまっており、そのつもりで見ないと存在に気付かないほどですね。
ロープウェイ駅跡は、思ったより構造がしっかりと残っていましたので、昭和初期の貴重な産業遺産として、整備、保存して欲しいところです。六甲ケーブルの六甲山上駅が近代化産業遺産に指定され、また開業80周年を迎えて賑わっている一方で、こちらは六甲山中に眠る廃墟・・・本当に対照的な運命としか思えません。今回は、講演から機会を頂きありがとうございました。今後とも、よろしくお願い致します^^

ちゅたさん、こんにちは。

六甲山の観光地化の歴史から機会を頂き、今回の調査(徘徊?)につながりました。まだ芽吹いていない時期ということもあり、容易に接近できましたが、木立の間から建物を見た時には、一種の感動を覚えました。昭和19年から、よく残っていたものと感心します。嵐や水害、そして地震、どれだけの自然災害を乗り越えてきたのでしょうか。
これから植物が生育する季節となると、また緑の森の中に埋もれてしまいそうです。もし近くまで行かれるのでしたら、縦穴の存在などには十分お気をつけ下さい。小さいと思っていた六甲山ですが、その懐の深さには、本当に驚くものを感じる、今日この頃です~^^

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