神戸市灘区制80周年-第9回灘・夢ナリエ-
神戸市の中心部から大阪寄りへ行った所に、神戸市灘区があります。ここは南に海、そして北に六甲山を望む、典型的な坂の街。1995年の阪神・淡路大震災では、主にJR線より南側の地域で大きな被害が発生しましたが、現在はJR六甲道駅を中心に大変賑わっており、神戸市内でも人気の高い地区となっています。7月16日土曜日、その神戸市灘区で近年恒例とも言える、灘・夢ナリエが開催されましたので、ちょっとのぞいてみることにしました。
こちらは、JR六甲道駅のすぐ南側から国道2号線にかけて広がる、六甲道南公園です。この公園は震災復興事業の一環として2005年に完成したもの。イタリア広場と名付けられた場所には、たくさんの灯篭が並べられていました。
同地点から北側(JR六甲道駅側)を見たところです。傾斜の付いた巨大な構造物となっており、この向こう側は芝生の公園となっています。このモニュメントがイタリアの女性デザイナーによって作られたことから、イタリア広場の名が付きました。
その北側の芝生部分では、婦人会の皆さんによる盆踊りが行われていました。神戸市内にはこうした婦人会がたくさんあり、住みよい町づくりと文化的な活動に貢献しています。
会場には東北への応援メッセージも。
そして、点灯式が始まりました。
子供たちの手によって描かれた灯篭に一斉に点灯。
会場は幻想的な光景に包まれました。
イタリア広場モニュメントの傾斜部分はこんな感じ。何か模様を描いているように見えるのですが、斜度が緩いため、よく分かりません。
しかし残念なことに、周辺にはイタリア広場を展望可能な適所が、ほとんどありません。何とか国道を挟んだ六甲ボウルから見てみると、こんな感じです。先ほどの模様(右上部分)を何とか見ることができました。オレンジ色で「80」という文字を描いているのが何となく分かるでしょうか。その上の赤い部分は、この角度でも全く不明。これは実は「祝」という文字。警備の方に教えて頂いて、ようやく分かりました^^; ありがとうございました^^
灘区の地域は1929年に神戸市に編入され、1931年の区制施行により灘区が誕生しました。区役所は都賀川のある将軍通に置かれていましたが、2004年に、ここ六甲道に移転しています。
今では、震災後に移転して来たり、生まれたりした、いわゆる「震災を知らない人たち」が、区民全体の約半分を占めるようになりました。
「あかりの盆」とも呼ばれる灘・夢ナリエは、震災復興だけではなく、そうした新旧の住民の交流を図る上でも、重要な役割を担っています。これからも素敵な街であって欲しいですね。
復興した新しい街並みと昔ながらの盆踊り。新旧混在の中、小学生の描いた灯篭が美しい、80周年を祝う神戸市灘区の「あかりの盆」でした。
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