廃線跡ハイキング-テーマパークに消えた桜島線-
大阪環状線の西九条駅から分岐する路線に、全線4.1kmの「桜島線」があります。現在ではJRゆめ咲線という愛称の方がすっかり定着しており、桜島線という案内は、ほとんど見ることはできません。建設当時は臨海部の工場地帯の通勤、貨物路線としての役割が強く、休日や昼間は閑散とした路線となっていました。
しかし2001年3月31日に開園したユニバーサル・スタジオ・ジャパンによって、路線の役割は激変。開園に先立つこと2年前の1999年4月1日に、路線は南側へ300mほど移設され、開園直前の2001年3月1日には、途中にユニバーサルシティ駅〔上写真〕がオープンしました。華やかなテーマパークへの観光路線として変貌を遂げた桜島線。6月19日(日)、移設前の面影を求めてユニバーサルシティ駅1つ手前の安治川口駅から、徒歩で周辺の散策へと出かけてみることにしました。
ということで安治川口駅の西側です。正面が安治川口駅。駅を出ると、すぐに整備された遊歩道が続いています。
同地点から振り返ると、こんな感じ。左手に見える橋梁が、現在の桜島線(ゆめ咲線)。右に緩くカーブしている道が見えますが、これは元々桜島線と少し離れるように並行していた道路です。桜島線の廃線跡は、前方に連なるマンションの敷地部分。道路に沿って、緩く右にカーブしていました。
右にカーブが終わると、一直線に西へ。ここも桜島線の廃線跡は、左の建物部分となります。正確には廃線跡沿いハイキングですね^^ 道の向こう側に見える工場沿いには、何やらカラフルな展示が見えています。
桜島線の古い写真が掲げてありました。
そして、こちらが桜島線の名物だった可動橋です。桜島線はその名の通り、埋め立ての島に渡る路線となっていて、運河の部分は船を通すために可動橋が設置されていました。写真は、鉄道橋の部分が斜めに開き、そこを船が通ろうとしているところ。鉄道の可動橋と言えば、佐賀線(1987年廃止)の筑後川にかかっていたものも有名でした。
更に進むと、道は突き当たりとなってしまいます。見えてきたのはユニバーサル・スタジオ・ジャパン。手前は公園のようになっていて広くなっていますが、ここは元々道路が北側へ少し膨らんでいた所。そしてUSJの前を南北に横切る道路が、元の運河を埋め立てた部分と勘違いしそうですが、ここはまだ運河部分ではありません。
運河部分は、こちらです。そう、現在のUSJのエントランス部分。完全に埋め立てられており、面影は全くありません。そしてエントランス左手付近が桜島線の可動橋のあった場所。
USJに入りました。もちろん入場料が必要です。。。パーク内のこの道路は当時の桜島線に並行しています。正面が先ほど見たエントランス方面。旧桜島線は右手のメルズ・ドライブイン付近を通過していました。
振り返るとUSJの中央に広がるラグーンが見えます。そして正に、ここが終点桜島駅のあった場所。線路は右手奥、ジュラシックパークエリアにある三角屋根の建物付近へと伸びており、左手に見えるロンバーズ・ランディング部分が桜島駅舎付近となります。
ロンバーズ・ランディングの前に来ました。桜島駅跡です。と言ってはみても、全く無意味とも思える光景^^;
しかし、足元には別の線路が敷かれていました。サンフランシスコエリアなので、路面電車の雰囲気を出すために敷設されているようです。この線路は、完全なモニュメントで、実際に使用されることはありません。
そしてラグーンの反対側、ジュラシックパークエリアにやって来ました。桜島線は桜島駅で終わりではなく、更に西へと貨物線が伸びていました。この付近が、その廃線跡です。
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USJの案内板です。この図は上が南となっています。旧桜島線部分を赤色で書き加えてみると、こんな感じでしょうか。左下が安治川口駅方面になります。元々あった運河と可動橋は、現在のエントランス付近。桜島駅の西側にも、南へと伸びる貨物線が分岐していました。ちなみに、現在の桜島駅は「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」の裏手付近となります。
そしてジュラシックパークの外側、USJの外に出てきました。ここから先も貨物線の跡地が更に西へと向かって続いています。
こちらが、西側にある元の貨物基地跡です。名残をとどめるように、扇形の駐車場となっていました。貨物線はこの先、西への直進(写真正面方向)と、南へカーブした支線(写真左手方向)とに分岐し、更に奥へと続いていました。
そして南へと移転を余儀なくされた、現在の桜島線(ゆめ咲線)の終点、桜島駅です。USJと道路に挟まれた狭い立地で周囲には何もなく、利用者はまばら。しかし現在、ここから大阪府咲洲庁舎(旧ワールドトレードセンター)へ、延伸する構想も出ているとか。
その桜島駅からユニバーサルシティ駅までの間は、USJの敷地沿いに進むため、パークの景観に配慮してか、半地下のシェルター構造となっています。巨大テーマパーク建設で、通勤路線から観光路線に役割を移し、大きく変貌を遂げた桜島線。そして今や、その路線名すら忘れ去られようとしています。
時代の変遷に跡形もなく消え去ったものの、周辺部分にかすかに面影を残す、旧桜島線の廃線跡ハイキングでした。
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いそしずさん、こんばんは。
いやー、移設されたとはなんとなく記憶にありましたが、そういう視点でパーク内を見たことは今まで全然ありませんでした。見慣れたパーク内の風景の中をありし日は鉄道が通っていたとは。
近代建築もどきやマンホールに注目してパーク内を見たことはありましたが、廃線跡とは新鮮です。
そういえば終点の駅はUSJのキャスト(とはいわないのかな。クルー?)の通勤最寄り駅となっています。専用のゲートがすぐそばにあるようですよ。天保山への渡船にもクルーがよく乗っています。桜島駅付近歩いている外国人とかはたいていそうかもしれません。
投稿: べるつく | 2011年6月23日 (木曜日) 00時58分
べるつくさん、こんばんは。
ありがとうございます。廃線跡と絡めたUSJ訪問は、全く痕跡がないため、無駄にも思えたのですが、その無駄が逆に面白かったです。在りし日の桜島線を思い浮かべながら散策すると、非日常の世界で別世界のパークの中で、なぜか不思議な雰囲気に。そのギャップが新鮮で、面白かったです。
桜島駅に戻る時に、従業員専用の出入口がありましたね。桜島線は、パークの通勤路線でもある訳ですね。そう言えば、先日渡船に乗船した時に、外国人の姿がありました。日本の無料渡船をよく使いこなせてるな、と感心しましたが、パークの関係者だったのかも知れませんね(^^)
投稿: いそしず | 2011年6月23日 (木曜日) 08時18分
いそしずさん、こんばんは。
桜島線の記事、面白いですね~。
田舎のローカル線の廃線跡も良いですが、都会の電車線でここまでの表現力に脱帽です。
新旧の時代背景が織り交ぜてあって…、楽しい記事です。
廃線跡を語らせたらいそしずさんの右に出るものはいないって感じです!
タイトルもセンス抜群です。
永久保存版ですね~。
投稿: ちゅた | 2011年6月23日 (木曜日) 23時08分
ちゅたさん、こんにちは。
ありがとうございます。桜島線は、移設前に終点桜島駅まで、乗車した思い出があります。休日昼間でしたので、本当に閑散としていました。途中下車して、雑談した安治川口駅の駅員さんが、とても親切で、面白かったのを覚えています。
その安治川口駅から、当時の終点へのバイキングはとても楽しかったです。変わり過ぎてて、過去の位置を確認するのが大変でしたが、それもまた楽しい作業でした〜^^
投稿: いそしず | 2011年6月24日 (金曜日) 18時40分
はじめまして
USJいいですよね
投稿: かっしー | 2015年6月 9日 (火曜日) 14時48分
五新線バス専用道路をグ-グルで閲覧中にこのサイトに迷い込み早速お気に入りに登録しました。1940年生の書生昭和34年4月桜島駅に降り立ち日本一駅から近いHZ桜島工場に初出勤その日から42年間、朝6時の出勤が始まり7年間、堺工場に移るまで通勤、26年間HZでお世話になり造船不況で中堅の製鋼所に転勤するまで桜島工場とは縁がありました、20年近くホームの土を踏んでいませんが、世界に誇る造船所が有った事も覚えておいて下さい、朝夕の通勤時には近隣の会社を含め4000人の人々が利用していましたがその当時から昼間は2本/時で西九条折り返しでした。朝の出勤時改札前でパン箱を肩からタスキ掛け菓子パンを売っていて、20円のドイツ塩パンがおいしかったな-..。そうそう台風-が来ると予報が出ると早退を知らせる社内放送が流れ、可動橋が上がると帰宅できないと皆慌ててたな。駅がない、さびしいし、なつかしいな-
投稿: ゆーじいさん | 2016年4月 3日 (日曜日) 17時25分
ゆーじいさん、コメントありがとうございます。
こちらのブログは、最近あまりチェックしておらず、お返事が遅くなりました。申し訳ありません。USJになる以前、私も桜島線に乗ったことがあります。完全な工業地域への通勤路線という感じで、架道橋も、小さな桜島駅の改札口も、今となっては遠い記憶ですが、まだ学生でしたから、安治川口駅の駅員さんに、とても親切にして頂いたのが、一番の思い出でしょうか。
造船所は知りませんでした。当時の情景が、思い浮かぶような詳細なコメント、ありがとうございます。今では、まったく別世界のような観光路線ですが、これからも日本の工業発展を支えた通勤路線、桜島線も忘れないでいたいと思います。
投稿: いそしず | 2016年6月 2日 (木曜日) 22時52分
はじめまして。
今の桜島線って、全く変わってしまったんですね。
私も、今年の1月16日付けで「USK JR桜島線」と題して
昭和59年くらいに行った時のことを、ブログに挙げています。
ホントに、物の見事に変わって、痕跡すらないのが、チョット寂しいです。
投稿: ゲバゲバ | 2016年8月13日 (土曜日) 11時03分
ゲバゲバさん、コメントありがとうございます。
当時の桜島線とは、ずいぶん変わって、まるで別の線のようです。昭和59年頃に行かれたことがあるのですね。私も昭和63年に桜島線を訪問しています。残念ながら、写真がほとんど残ってなく、新旧比較の写真は掲載できませでしたが・・・。USJも最近は入場者数増加で、この撮影時より、かなり賑わっていると思います。ますます、旧桜島線が遠い過去の風景となりそうです。
投稿: いそしず | 2016年8月24日 (水曜日) 22時04分